【11月18日】55歳でも・・・
- 公開日
- 2020/11/18
- 更新日
- 2020/11/18
つぶやき
アメリカのスペースXが、日本時間11月16日午前9時27分、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の野口聡一飛行士ら4人が乗る新型宇宙船クルードラゴンを、ケネディ宇宙センターから打ち上げたとの報道がありました。その後、27時間半の旅を終え、国際宇宙ステーションに入ったとのことです。ちなみにクルードラゴンは、民間初の有人宇宙船。その宇宙船に乗ったのは、日本人では野口さんが初めてなので、ある資料には「74億分の1の野口さん」と載っていました。半年間の滞在で人工多能性細胞(iPS細胞)を用いた実験などに取り組む野口さんは、
「55歳でもやれるということを示したい。可能であれば過酷な船外活動を実現させたい」
と話されていました。私とちょうど同じ年齢です・・・
野口さんは小さい頃、学校の帰りに稲刈りの終った田んぼで野球をするなど広いところで遊ぶのが大好きだったとのこと。また、乗物に興味があって、電車、飛行機、ロケットなどに関心が移っていきました。宇宙を舞台にしたアニメなどは見ていましたが、小さいときはまだ、宇宙飛行士になりたいとは思っていなかったそうです。高校1年生のとき、スペースシャトルの初飛行を見て、これからはふつうの技術者でも宇宙で活躍できる時代になると考えました。このときから、自分もいつかは宇宙に行きたいと思ったそうです。そして、高校3年生のとき「宇宙からの帰還(きかん)」という本と出会い、宇宙飛行士になる決心をしたそうです。その後、東京大学工学部航空学科→東京大学大学院→石川島播磨重工業(現・IHI)において航空技術者として超音速旅客機のエンジン開発に5年間従事しました。その後、旧宇宙開発事業団:NASDA(現・宇宙航空研究開発機構:JAXA)の募集に応募し、1996年572人の受験者の中から宇宙飛行士候補者に選ばれました。2005年7月、スペースシャトル「ディスカバリー号」に乗りこみ、日本人宇宙飛行士として初めて、国際宇宙ステーションで船外活動を行いました。3回の船外活動では、スペースシャトルの耐熱タイルの修理試験や、国際宇宙ステーションの姿勢をコントロールしている装置の交換、部品の組立てを行いました。
野口さん曰く、宇宙で楽しむような自分の時間はほとんどないそうです。例えば、科学実験であれば、大学や企業の研究者たちが、次の世代の技術開発を行うために無重力空間での実験が不可欠だと提案し採用されたものを手順通りに進め、その結果を報告していくのです。ですから、人類にとってとても大切で大変難しく忙しい「仕事」ということになります。
さらに、冷静に考えると「死」と隣り合わせであることも間違いのない事実です。2003年2月、スペースシャトル「コロンビア号」は、地球への帰還を目前にして空中分解し、7名の宇宙飛行士の命が失われました。そのとき、野口さんは、深い悲しみと共に、軽い気持ちで見送った仲間や家族が帰って来ないことがあり得ることを改めて実感したそうです。事故後、2年半中断されたスペースシャトル計画ですが、野口さんにとっては、宇宙に行く意味を問い直す機会となったとのこと。宇宙へ旅立つことは、家族や仲間との永遠の別れになるかもしれないリスク。自分の命をかけてまでも遂行する意味があるのか?悩みに悩んだ末の結論は「イエス」だったそうです。そんな覚悟をもって「ディスカバリー号」に乗り込み、はるか遠くの「地球」を見ながら、改めて命の尊さを感じたそうです。
自分の夢を追い求め、人類のため、地球のために命をかけて3度目の宇宙に旅立った野口さん、心から尊敬します。
同じ55歳のわたしも、少しでも近づけるよう頑張らなければ・・・