【1月17日】あれから26年
- 公開日
- 2021/01/17
- 更新日
- 2021/01/17
Kのつぶやき
本日1月17日、1995年の阪神・淡路大震災から26年を迎えました。以前私が担任した神戸からの転入生が、阪神・淡路大震災で被災し、家族で親戚の家へ行くために線路の上を延々と歩いたことや自分の友達を亡くしてとてもつらく悲しい思いをしたことなどを話してくれたことを今でも思い出します。
兵庫県に新型コロナウィルスの緊急事態宣言も再発令された状況であることから、密集をさけるために、昨日16日から分散しての「追悼行事」が行われました。神戸市中央区の東遊園地では、16日午後5時46分に、来場者はスタッフらと一緒に黙祷し、「がんばろう 1.17」の文字の形に並べられた灯籠に火をともしました。
お亡くなりになられた方へ、心より追悼の意を捧げます。
さて、阪神・淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分、明石海峡の地下16kmを震源とするM7.3の地震によるものでした。淡路島から阪神地域にわたって、50程度の震源断層が最大数mずれ、阪神地域に強烈な揺れが襲いました。その当時、「震度」は人間の体感で測られており、震度6と震度7を区別することが難しいため、震度7は、現地の被害状況に基づき家屋倒壊率30%を目安に定めることになっていたそうです。したがって、震度7と発表されたのは、地震発生3日後でした。激震地域の震度情報の遅れが、初動対応の遅れにもつながるということで、体感による震度観測から、1996年4月に「地震計」による計測になり、即時発表できるようになりました。
阪神・淡路大震災では、6434人の命が奪われ、全半壊家屋約25万棟、10兆円を超える被害となっています。このように多くの尊い命を奪い、甚大な被害を与えた阪神・淡路大震災ですが、この震災による「正の遺産」がネットニュースで紹介されていました。
1 ボランティア元年
この震災をきっかけに災害ボランティアが定着したため、1995年を「ボランティア元年」と呼んでいます。阪神・淡路大震災では、167万人のボランティア(延べ人数)が復興の大きな助けになったと言われています。
2 震度階級に「5強」などを新設
上記でも述べましたが、0〜7の8段階の体感による測定から、震度5と6に「弱」「強」が加わった震度計による10段階となりました。
3 東京消防庁にハイパーレスキュー創設
阪神・淡路大震災を教訓に大規模災害に対応するため、高度な救出救助能力を有する隊員と装備で編成される消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)が1996年に発足しました。
4 災害派遣医療チーム(DMAT)発足
阪神・淡路大震災は、被災者に対する初期医療の遅れを露呈しました。当時の医療技術でも「500名は救えたはず」と言われました。これを受けて、厚生労働省の日本DMAT(ディ−マット)が発足し、要請に応じて活動しています。
5 カセットコンロ・ガスボンベの規格統一
阪神・淡路大震災の被災者は、カセット式のガスコンロを利用しましたが、メーカーによってガスボンベのサイズや構成部品が異なるため不便が生じました。これを教訓として1998年にボンベの形状が統一されました。
6 水道レバーが「下げ止め式」に
水道の湯水混合水栓のレバーは、阪神・淡路大震災の前まではレバーを上げると止まる「上げ止め式」が普及していました。しかし、大震災で物が落下して水道水が出っぱなしになるという事例が多発したため、震災後はレバーを下げると止まる「下げ止め式」が普及しました。
7 地震保険が普及
震災によって、かけがえのない人の命や多くの大切な物を失いましたが、人間はそのことから学び、新たにつくりあげ、それを生かしていることがたくさんあるのだと知りました。1月17日、改めて「命の大切さ」や「防災」について、しっかりと考えたいものです。