学校日記

【3月9日】「あの日」から10年[その2]

公開日
2021/03/09
更新日
2021/03/09

つぶやき

 今日は「河北新報」の特集記事から、一部抜粋して紹介します。被災され、母、祖母、曾祖母を津波で亡くされた、赤間仁美さん(25歳)という、現在小学校の先生をされている方のお話です。

 「東日本大震災を振り返るのは先生も苦しい。でもみんなに伝えたい。命はかけがえのないものだから」。そう子ども達に語りかけながら授業をされる赤間先生。「被災地以外の子ども達にこそ、教訓を教えたい」と、避難訓練後の授業や防災教育などで語られています。
 震災から1年間は「生きていた記憶がない」くらい暗いトンネルにいた。通学のバスの中でも涙が溢れてくる。支えは父や弟、友人や先生の存在だった。普段通りに接してくれたバレー部の仲間は「つらかったら、いつでも泣いていいよ」と気遣ってくれた。
 長く母の写真を見ることさえできなかった。直視できるようになったことに気づいたのは昨年(2019年)夏だった。震災を記憶している教え子はほとんどいない。聞きたいこと、教えられることは何だろう。被災者の一人、教員として日々考え続ける。
 震災時の経験談を聞いて涙ぐむ児童がいる。訓練に真剣に取り組む子が格段に増える。クラスの一人(10歳)は「災害が起きたらどれだけ大変なのかを感じ、命の大切さがわかった」。父親とけんかしたとき、赤間先生の言葉を思い出し、素直に「ごめんなさい」と言えたと保護者が教えてくれた。
 授業の下調べで関連資料を見返すのはつらい。それでも備えの重要性は伝えたい。子ども達の未来のための努力は惜しまない。
 手探りで震災を伝え続ける赤間さんが、児童に話しているエピソードがある。
 あの日、母親にあいさつしないまま家を出てしまった。今も悔やんでいる。「行ってきます」。そう言える毎日は、決して当たり前じゃないと・・・。

 コロナ禍で当たり前は当たり前でなくなりました。それと同時に当たり前だったことがいかに幸せであるか、いかに大切であるかを私たちは学んでいます。
 赤間さんのように、親を亡くすことがどれだけ苦しくつらいことか、明るく元気だった親や家族が突然の災害で命を奪われる。その心の本当の痛みや苦しみは、本人しかわからないと思います。しかし、私たちは思いを馳せることはできます。察することはできます。
振り返ることのつらさを乗り越え、未来を創る子ども達のために自分の体験や思いを語られ伝えていく赤間先生の生き方は大変素晴らしいと思います。
 「行ってきます」と言える毎日。「ただいま」と言える毎日。そうして子どもを笑顔で見送り、見守り、迎えることができる当たり前の幸せを、私たちは今一度考えるべきだと思います。何より、「命」が大切。命さえあれば、どんなに苦しくても命さえあれば・・・。
 明日を信じ、まず今日、いや今この瞬間を大切にしなければならないと思います。そして、何より命を守る行動、命を大切にする生き方、そして「当たり前」に感謝する気持ちを持ち続けなければと思います。