【3月18日】備えは万全か
- 公開日
- 2022/03/18
- 更新日
- 2022/03/18
Kのつぶやき
今朝の西日本新聞「春秋」からです。
「神様、もう許してください」。
スマホの中の文字から目が離せなくなった。震度6強の地震が襲った東北の人の投稿だ。新幹線は脱線し、高速道路に亀裂。あちこちで建物が壊れ、仙台城址の石垣も崩れた。広範囲で停電し、一部で断水。深夜の激震に跳び起きた人も多かったろう。転倒の負傷者が相次ぎ、死者も出た。東日本大震災並みの揺れだったと言う声も。「その日の記憶がよみがえって震えが止まらなかった」「津波が怖くて高台に逃げた」「原発は大丈夫か」。被災地に追い打ちを掛けるように地震が続く。どうして東北ばかり。そんな悲鳴が聞こえてくる。1週間前に大震災から11年目を迎えた。東北各地で追悼や復興を願う行事があった。岩手県陸前高田市の中心部を流れる川の両岸はキャンドルの明かりに包まれ、津波の犠牲になった人を悼んだ。原発事故で避難指示が続く福島県大熊町では、住民が避難先で折った千羽鶴を町役場の前に飾った。同県浪江町の海岸。警察と消防が行方不明者を一斉捜索した。県内ではいまだに196人の行方がわからない。終わることのない痛みと悲しみ。天を恨みたくなるが、人にできるのは被災地の再建と、教訓を忘れず「次」に備えることだけだ。あさっては福岡沖地震から17年。九州の私たちも災害と常に背中合わせで暮らしている。大雨、台風、火山も。備えは万全か。天をにらんで問い続けたい。
地震から一夜明け、被害状況が次々にわかってくると、その地震の大きさや脅威を改めて知ることができます。あの大震災を思い出させる恐怖や不安がどれだけのものだったかと心中察するところです。「神様、もう許してください」の言葉に胸が詰まる思いでした。
記事を読み、2005年3月20日の福岡県西方沖地震からもう17年も経つのだと改めて思いました。私はそのとき、柳川市内の中学校の体育館にいました。大会に出場し、試合の合間の練習のときでした。私が生徒とレシーブ練習をしているときに、ガシャガシャガシャ…という大きな音とともに激しい揺れに襲われました。会場にいた人たちの悲鳴も聞こえました。そのあと、玄界島などの映像を見て、そのときの地震の凄さと被害の大きさを知りました。
しかし、その比ではない大地震にあい、信じられない津波に襲われた東北の方々…今回の地震は、本当に恐怖だったのだと思います。東日本大震災における死者1万5900人、行方不明者2523人、避難者数3万8000人以上。どれだけ復興が進もうとも、決して「過去」のことではないのです。そんな中の地震。昨日も言いましたが、すべての人が他人事にせず「備え」をするしかないのだと思います。
※今日は、「生徒総会」でした。第40代の生徒会役員の子どもたちが昨年12月から準備してきた原案を各学級で審議し、今日の生徒総会で承認し、御陵中学校をさらによりよくしていくために全員で取り組んでいきます。
今日の、役員の皆さんの態度や行動は、本当に素晴らしいものでした。また、それを受け止める1・2年生の子どもたちもとても素晴らしい態度でした。3年生が卒業し、寂しさも感じていましたが、今日の子どもたちの様子を見ながら、またこれからが楽しみになりました。