【6月16日】物事の真意
- 公開日
- 2022/06/16
- 更新日
- 2022/06/16
Kのつぶやき
昨日5校時に、3年1組で田中智洋教諭が、数学の「式の展開」の授業をすべての先生に公開し、そのあと研修会を行いました。私たち教員は、子どもたちのためにも、常に学び研修していくことが絶対に必要です。特に、授業に関する専門性を高めていくことは私たちの大切な仕事です。これからも互いに学び合い、自己研修を積み力をつけていきたいと思います。
さて、日本教育新聞に「管理職の独り言」というコラムが載っています。現在、ある小学校の校長をされている先生が書かれたもの(6月13日付)をそのまま載せます。
「先生に直接お会いして渡したいものがあるんです」
中学校の教え子で、社会人になったA君から渡されたのは、「スポーツを活用した社会貢献」という論文。成長した姿に感動してすぐに目を通した。論理的かつきれいな言葉でつづられており、うれしく思う反面、物足りなさを強く感じた。
A君は、プロ野球選手を多数輩出した高校で野球に没頭。努力、忍耐という言葉では表現できないようなつらい経験や、体が震えるような感動を味わったことと思う。しかし、論文からはA君の人生が伝わってこなかった。歯がゆさを感じた。
そこで、「こう書いた方があなたらしい」と、修正を加えて送ることにした。その後、忘れていた頃に届いたメールには、こんなことが書いてあった。
「うぬぼれかもしれませんが、正直褒めてもらえると思っていました。一人の大人として、先生と教育の話ができればと思っていましたが、自分はまだ先生と対等に話ができるレベルには達していない人間だと落ち込んでしまい、今日まで返事が遅れてしまいました。しかし、あんなに真剣に読んで意見をくれるのも先生です。そう理解するのに半年という時間が必要でした。大変申し訳ありませんでした」
論文を受け取る際に、「アドバイスをお願いします」と言われていたため、精いっぱいの感想と意見を伝えた。それが、A君への誠意と思ったから。でも本当に欲しかったのは「すごいなぁ」「成長したなぁ」という一言だったかもしれない。
武田鉄矢さんは以前、こんな話をしていた。
「来客から『のどが渇いたから水を1杯いただけますか?』って言われたら、水を出すのではなく、『冷たい麦茶いかがですか』って対応するでしょ。『水が欲しいと言われたから水を出す』は日本語としては正しいでしょうが、物事の真意は違うところにあります」
自分が正しいと思い行動したことが、いつも正しいとは限らない。肝に銘じておかなくては。
私はこの文章を読ませてもらって、改めて考えさせられました。私からすれば、教え子から渡された論文にすぐに目を通し精一杯の感想と意見を送られる先生は素敵だなと思います。ただ、それを教え子が望んでいたものではなかった…。だから、間違いだったのか?と問われればそうではないような気がします。詳しいことはもちろんわからないのですが、もしかしたら少し言葉が足りない部分はあったかもしれません。ただ、この子の今後のためにはきっと糧になることがたくさん詰まっているのではないかとも思います。ただ、お世話になった先生にきっと「もっと認めてほしかった」「褒めてほしかった」という気持ちもわかります。
このようなことは、教員と教え子の関係だけでなく、身の回りでたくさんあることだろうと思います。「よかれ…」と思って行動したことがマイナスに働いたり、相手を察して思いやるある言葉をかけたつもりなのに違う受け取り方をされたり…。また、直接伝えることと、メールや手紙で伝える場合は受け取り方も変わってくると思います。
信念や志をもつことはとても大切です。一方でこの先生がおっしゃっている「自分が正しいと思い行動したことが、いつも正しいとは限らないこと」を踏まえ、「状況を冷静に把握したり、相手の気持ちを察したりしながら行動すること」そして、「言葉を大切に使うこと」が必要なのではないかと思います。
うまくいかないこと、伝わらなかったことも、またしっかりと話したり関わったりする中で改善されていくこともあると思うし、時間が解決してくれることもあると私は思います。
とても考えさせられた私でした…