学校日記

【7月13日】与えられすぎると…

公開日
2022/07/13
更新日
2022/07/13

Kのつぶやき

 先日紹介した永松茂久さん著『人生を言いなりで生きるな』にこんな内容のことが載っていました。

 永松さんは、大分県中津市の出身。東京の大学に通っている頃、春休みに地元に帰り、近所の靴屋のお兄さんから誘われバイトをした。その内容は、二つの高校の入学説明会で、上靴と体育館シューズを売る仕事。1校は地元でも有名な進学校、もう1校は進学組も就職組も入り交じる普通校。
 まず、有名進学校。先生達の説明が終わり、靴を販売する時間になると、いかにも優秀そうな子たちが販売場所に並び、靴屋のお兄さんは靴のサイズを聞いていった。このとき、特に学校から指示があったわけでもないのに、全員生徒の横には母親が付き添っていた。
 「靴のサイズ、何センチですか?」と聞くと、ほとんどの生徒がお母さんの方を向いて「何センチかな?」と聞く。そしてお母さんが「○センチをください」と答える。もちろん自分でサイズを言う子もいたが、お母さんの方を向く学生があまりにも多く、しかも男子生徒が多かった。靴屋のお兄さんは、いちいちお母さんに聞き時間がかかっていたので「自分で大きな声で言って!」とプレッシャーをかけるほどイライラしていたとのこと。
 一方、後日販売に行ったもう1校では、先の進学校とは対照的に、並んだ生徒たちの横にはほとんどお母さんはいない。自分でハキハキとサイズを言うので、スムーズに販売が終了した。

 この話は25年以上前の話ではあるが、当時その進学校に入ることが勲章のように言われていたときに感じた「違和感」だったと永松さんは述べています。また、「親があまりにも何から何まで手を出しすぎてしまうのは、イコール子どもが自分の頭でものを考える機会が減ってしまう、ということなのだ」とも。そして、続けて次のように書かれています。

 一見、学力の高い学校に入るということは、将来において有利に働くこともあるかもしれないし、いい大学に入れば、それなりの会社に就職できるかもしれない。
 しかし、社会に出てから大切なものは、その人の在り方だったり、コミュニケーションをはじめとする人間関係力だったり、自分で仕事を生み出す力だったりという、大きく言うと人間力であり、自分の人生を自分で切り開いていく力に比重が置かれる。…(中略)…
 ところで、いま、私のまわりで全国的に活躍している著作家、経営者などの優秀なリーダーたち、勢いのいい若手起業家たちの中に、一流大学出はほとんどいない。いたとしても、私が知らないということは、彼らや彼女らが、いま、仕事をしていく中で、自分の出身校で勝負をしていないということになる。
 あなたのまわりはどうだろうか?まわりで活躍している人たちを見たとき、学歴のある・なしは、自分で考えて行動する力には、はるか及ばないことをうっすら感じてはいないだろうか?もし学歴と社会での活躍度が比例していないとしたら、社会に出る上で、本当に実践的に役に立つ教育とはいったい何なのだろうか?

 永松さんは、もちろん学ぶことを否定しているわけではなく、「必要なのは学歴ではなく、学ぶ意識」だと述べています。私もそう思います。学ぶこと、学び続けることは当然大事であるし、必要なことです。単に点数がとれたらいいのではなく、人としての学びそして人間力を高めていくことが、社会においてとても重要になります。学歴だけの時代ではありません。むしろ、予測困難な未来へ向けて、自ら課題を見つけ、他と協働し、よりよい方法を考え、乗り越え解決していく力こそ、本当に大切な力だと思います。御陵中学校でも「自律貢献」を掲げ、生徒も教師も大人も、そんな力を日常の様々な経験や取組、人との関わりを通して人間力を高めていかなければと思っています。
 永松さん、この章の最後にこんな言葉を述べています。
「『専門知識を学ぶ 人間学を学ぶ 本を読む』。この実学の3点セットを習慣化すれば、必ず社会において役に立つ」