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【9月12日】努力と挑戦

公開日
2025/09/12
更新日
2025/09/12

校長のひとりごと

 人間学を学ぶ月刊誌『致知』9月号に、元読売巨人軍長嶋茂雄監督専属広報である小俣進(おまたすすむ)さんが、長嶋茂雄さんについて語られていました。小俣さんは、長嶋さんが監督時代に選手としても活躍された方です。一部抜粋要約して載せます。


 約半世紀、巨人軍の投手や専属広報として歩みを共にしてきた長嶋茂雄監督(以下、監督)が、89歳の天寿を全うしたのは6月3日のことでした。その日以降、多くのメディアの取材を受け、忙しくしてきた私ですが、ふと一人になる時、喪失感というのか、心にポッカリと穴が空いたような感覚を抱きます。今もまだ監督がどこかにいるのではないか。そんな気持ちで毎日を過ごしています。

 監督は最晩年まで、自分にはまだまだやり残したことがあるという気持ちをずっと抱いていました。その一つが野球を通して子どもたちの夢をはぐくむことでした。監督は2004年のアテネオリンピックで日本代表の監督を務める予定でした。しかし、脳梗塞で倒れてその思いを叶えることはできませんでした。帰国した選手たちに向かって「君たちはとてもいい経験をした。これからは野球の素晴らしさをぜひ子どもたちに伝えてほしい」と呼びかけていました。

 監督がいかに努力、挑戦の人だったか。それは監督の言葉を読めばよく分かります。

「ぼくは努力型だ。人からはよく天才型だといわれるけど、自分自身を振り返って考えると、たしかに素質はあるけど、努力の積み重ねでやってきたんだから。天才というものも、その素質は努力して発掘され、伸ばされるものじゃないかな」

「ライバルなんて言葉を使わないでくれよ。ぼくにとっては自分がライバルだよ。そりゃね、他の人たちには刺激されるかもしれんが、なんといったって、ほんとうに頼れるのは自分だけ。自分自身の心、体、すべてに勝つことがいまのぼくの素直な気持ちだ」

 監督を身近に知る人であれば、誰でもこれらの言葉に嘘偽りがないことを理解されることでしょう。


 長嶋さんは、「ミスタープロ野球」「ミスタージャイアンツ」、そして見せる野球を心がけ、プロ野球界を代表する素晴らしい選手であり、監督さんでした。長嶋さんに憧れ野球を始めた人、プロを目指した人がどれだけいたかはわかりません。長嶋さんのおかげで、プロ野球人気にも火が付きました。

 長嶋さんは、その人柄のよさからたくさんの方に愛されました。クスッと笑えるような長嶋さんらしいエピソードや豪快なエピソードなどたくさんあります。そして、長嶋さんは、常に向上心を持ち、ひたむきな努力を続け、まさに「記録」にも「記憶」にも残る方でした。小俣さんが言っておられましたが、「長嶋さんは、努力と挑戦の人生であった」ということです。

 やはり、何事においてもたゆまない努力と挑戦をし続けることが、大いなる成功や成長につながっていくのだということを長嶋さんは教えてくれているのだと思います。


(ひとりごと第1073号)