【10月7日】信念を貫く
- 公開日
- 2025/10/07
- 更新日
- 2025/10/07
校長のひとりごと
昨夜の「中秋の名月」、見られましたか? その美しさと神秘性に心を奪われるようでした。そしてこの月をたくさんの方が見つめている…。そう思うと、なんだか不思議で、様々な「思い」がめぐってきました。皆さんはどう感じられましたか?
(写真は、私のスマホで撮った「中秋の名月」です)
さて、昨日大阪大学特任教授である坂口志文さんが「ノーベル生理学・医学賞」を受賞したとの報道がなされていました。坂口さんが発見したのは「制御性T細胞」というものです。普通、人の体に病原体などの敵が侵入してきた場合、それを攻撃する免疫反応が起きるのですが、まれに正常な細胞を攻撃してしまう自己免疫疾患やアレルギーを発症する人がいる。坂口さんはそうした過剰な免疫反応がおこらないようにする鍵である「制御性T細胞」を発見したとのことです。この研究は、以前は「非主流」であり、坂口さんを「異端視」する人も多くいたことが、今朝の西日本新聞にも載っていました。記事の一部を抜粋します。
滋賀県出身。子どもの頃からいろいろな本を読み、のんびりと育った。県立長浜北高から京都大医学部に進み、免疫系の病気に興味を持った。正常な免疫システムは体内に侵入したウイルスなどを攻撃するが、関節やリウマチなどの自己免疫疾患では自分自身を攻撃しています。「自分と自分ではないものをどう区別するのか。哲学的な面白さがある」と坂口さんは話す。大学院生の時、愛知県がんセンターのグループが、胸腺を取ったネズミが自己免疫疾患のような病気を発症するという論文を発表し、興味を持った。「面白くない」と感じていた大学院を思い切って中退し、がんセンターの研究生に。一般的な研究者のルートから外れた。
1982年、正常なリンパ球の中に免疫を抑えるものがあるという論文を発表。85年には制御性T細胞の存在を確信した。ただ、当時の免疫学の主流は、坂口さんの研究テーマとは全く別の「免疫反応をいかにつくり出すか」だった。免疫反応を抑制する分野の研究は70年代後半に脚光を浴びたが、坂口さんは「だんだん議論がしぼんでいく」中での研究を余儀なくされた。米国で10年ほど研究し、帰国後もすぐに大学には戻らず、他の機関で研究を続けた。95年に制御性T細胞のマーカー(目印)を発見。少しずつ理解が広がる中、2003年に制御性T細胞の重要な分子を見つけた。現在では自己免疫疾患のほか、がんの新たな治療法につながる研究として高く評価されている。
他の免疫学者は「世界中から認められず、長らく不遇の研究人生を過ごした。普通の研究者だったら諦めてやめていただろう」と指摘するが、坂口さんは「私はうどんのような(太い)神経。不遇とは思わなかった」と苦笑する。研究の世界では、その時々に有力な理論や考え方が提唱され、変化していく。坂口さんは「世の中の理屈が変わっても、自分の研究の原点に立ち返って再出発してきた」と振り返り、若い研究者に向けて「自分は何を知りたいのか、興味を持ち続けることが重要」と助言している。
ちなみに読売新聞の記事によると、坂口さんは京都大医学部には一度不合格。予備校にも行かず、自宅で一人、浪人生活を送ったとのこと。「分からないことがあっても自分で考え抜くしかなかった」。この日々が後の「粘り強さ」につながったとも…。
坂口さんの好きな言葉は「運鈍根(うんどんこん)」。「運鈍根」とは、「成功を遂とげるには『幸運』『根気』『図太い神経』の3つが重要であるという教え」です。まさに坂口さんの人生そのものを表した言葉なのかもしれません。
坂口さんの名前には「志」という字が入っています。きっと周りから何と言われようが、少数派であろうが、信念や志をしっかりと持ち、自分を信じて、粘り強く続けることの大切さを教えてくださっているのではないかと思います。また、どんな逆境や失敗も「前向き」にとらえ、失敗を成功への糧にしながらチャレンジし続けた結果が「ノーベル賞受賞」へとつながっていったのです。
「世の中、いろんな情報が氾濫し、流行り(はやり)も廃り(すたり)もあるが、自分の知りたいことに興味を持ち続けるのが研究者の原点だ」
坂口さんの信念を貫く粘り強さ…学びたいものです。
(ひとりごと第1088号)