【11月14日】不幸な目に遭ったら…
- 公開日
- 2025/11/14
- 更新日
- 2025/11/14
校長のひとりごと
今日私は、筑後市で行われる研修会に行ってきます。学びの多い一日になるよう、頑張りたいと思います。
さて、作家で写真家の有川真由美さんの著書『いつも機嫌がいい人の小さな習慣~仕事も人間関係もうまくいく88のヒント』の「不幸な目に遭ったら、『この程度でよかった』と考える」からです。
友人が交通事故に遭って、足を複雑骨折したときのことです。心配して病院にお見舞いに行くと、友人は元気そうな顔で、
「この程度で済んでよかった。打ちどころが悪かったら、いまごろ生きていなかったからね。それより入院したおかげで素敵な出逢いがあってね……」
と、楽しそうに話すのです。心配して損した。あっぱれ。
もちろん、痛みや不自由なこともあるでしょうが、「これで済んでよかった」と考えるポジティブさが、幸運を引き寄せていると思ったのです。これが「大変な目に遭ってしまった」と考えると、「どうしてこんな目に遭うのか」「あの道を通らなければよかった」「自分は本当にツイてない」とクヨクヨして、さらによくないことを引き寄せてしまいます。いいことがあったときには、だれでもご機嫌に過ごせますが、不運に見舞われたときに、その人の真価が問われるものです。「これで済んでよかった」と言う人は、すぐに気持ちを切り替えて、ぐんぐん前に進んでいく人です。
私のまわりでは、ほかにもそんなたくましい人たちがいました。
旅先で財布をスラれたとき、「これで済んでよかった。命まで取られなくて」。
飛行機が大幅に遅れたとき、「遅れで済んでよかった。欠航なら帰れなかった」。
株で大損をしたとき、「この程度で済んでよかった。これからは慎重に考えよう」。
楽天的というより、不運のなかでも、幸運を見つけるのが上手なのです。ものごとの意味づけは、自分でつくり出していることに気づけば、どんな不運がやってきても、くぐり抜けていけるのではないでしょうか。
生きていれば、大人であれ子どもであれ、いろいろなことがあります。大人になれば子どものとき以上に責任も大きくなり、困ること、苦しいこと、きついこともたくさんあると思います。時には予期しないアクシデントもあります。そんなとき、そのことをどう捉えるか? どんな心持ちでいるかが大事なのだと思います。
私なんかは、「これぐらいで済んでよかった」と思いたいのに、どうしようもないことに思い悩んだり後悔したりすることが多々ありました。「なんでこんなことに…」「なんで自分ばかりこんな目に…」なんて、思い悩むことがあります。悩んで考えて、よい方向にいくのであればいいのですが、考えても何も変わらないこともあります。だったら、有川さんがおっしゃっているように、「これぐらいでよかった」と考え、前を向いて次に進んでいくほうが賢明なのだと思います。
「不運」と思われることの中に「幸運」を見つける…大切な心がけですね!
[ひとりごと 第1114号]