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【11月21日】秋の夜長

公開日
2025/11/21
更新日
2025/11/21

校長のひとりごと

 11月17日付、日本教育新聞のコラム『不易流行』からです。


 秋の夜長。テレビやスマホのない時代には、夜の時間が静かで長く感じられた。日が短くなり、夜がゆっくり過ぎていく感覚を、多くの人と共有することができた。現代は、便利さやスピード、効果が優先される。ゆとりある時間を楽しむ「秋の夜長」という言葉は、忙しい現代人には縁遠い言葉となった。

 子どもたちは今、スマホやSNSを通じて、絶えず情報が流れる世界を生きている。退屈は悪いこととされ、空いた時間があると、埋めずにはいられない。子どもたちは何もしない時間の価値を体感せずに成長していく。

 教育の世界では今、「探究」がもてはやされている。情報の洪水の中で、スピードや効率を武器に「探究」に挑む。納得できる「探究」となるか。形だけの「探究」で終わるのではないかと危惧する。探究とは、本来「わからない」を抱え続ける営み。不安や迷いに耐え、問いを育てていく。静けさの中でしか、生まれない思考がある。教育の中に「秋の夜長のような時間」を取り戻したい。沈黙を恐れず、情報から少し距離を置き、自分の思考と静かに向き合う時間を持つこと。そこに、本物の探究が芽吹く土壌がある。速さよりも深さを、効率よりも熟成を、成果よりも思索を。子どもたちが再び「秋の夜長」を体感できるように…。学校教育が守りたいのは、そんな時間ではないか。


 学習指導要領においては、「『探究』とは、実社会や実生活の中から問いを見いだし、自分で課題を立て、情報を集め、整理・分析して、まとめ・表現する学習活動のこと」とされています。探究的な学びは、「総合的な学習の時間」を核としながら、すべての教科や活動を通して実現していくものとされています。「総合的な学習の時間」の意義について文科省は、

「変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすもの」

 としています。本校でもキャリア教育を中心とした「キャリア探究」「ふるさと探究」などに取り組んでいるところです。ただ、コラムにもあるように、じっくりと調べたり情報を集めたり実験したりしながら課題解決に向かっていくような探究ではなく、スピードを争ったり、デジタル機器等使って単に一つの「答え」を見つけることが、本来の目的ではありません。ですから、「なぜ?」「どうして?」という疑問に始まり、課題を見つけ、課題解決の糸口が見つからない状態も大事でしょうし、「うーん…」じっくりと考える時間がとても大切なのだと思います。それが思考力を高めることであり、深い学びにつながることだと思います。

 先日の生成AIの話もそうですが、当たり前のようにスマホやタブレットが身近にある子どもたちは、「情報の海」に放り込まれているようなものです。調べれば簡単に「答え」が出てくる便利な世の中です。しかし、そのことが、スマホ依存であったり、一部の情報や考えに偏っていたりすることもあります。そのような便利なものとどう向き合うか、どう距離をとっていくのか、情報を適切に取捨選択する力なども求められていると思います。

 「秋の夜長」は、秋になると日が短くなり、夜の時間が長く感じられることを指す日本の季語・表現ですが、日本独特の美しい言葉だと思います。ほどほどに「ぼーっとする時間」を作ることがメンタルヘルスにも、新しいアイデアを生む意味でもいいといわれます。

 私がぼーっとばかりしているとお叱りを受けるとは思いますが、少しでもそういう時間を大事にしながら、子どもたちのために頑張りたいと思います(^^)


[ひとりごと 第1119号]