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【12月17日】草履の紐

公開日
2025/12/17
更新日
2025/12/17

校長のひとりごと

 藤尾秀昭さん監修『1日1話読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書』、五代目 坂東玉三郎さんの「精神は飛び火する」からです。


 意識だけは教えることができないんです。これだけは人が変えてあげることはできないと思います。あとは素直に人の話を聞くことですかね。私は割と先輩方に可愛がられ、厳しくされた覚えがないんです。通りすがりの先輩に、「おまえ、その襟の合わせじゃだめだよ」「裾がこれじゃだめだよ」「頭はこうだよ」「顔の仕方がこうだよ」って皆さん言ってくださったんですよ。それは明くる日、すぐ直しました。

 これはうちの養父の教育がそうでした。守田の祖父(十三代目守田勘彌)が草履の紐(ひも)が解けたまま花道から出ていく役があったんですって。それを通りすがりの端役の俳優さんが「旦那、草履の紐、解けてますよ」と言ったので、「あ、そう、ありがとう」と言って、その場で結(ゆ)わいて、直前に解いて舞台に出て行った。それを見ていた養父が後で「お父さん、なぜあそこで結わいたのですか」と聞いたら、「『これは解けているもんだよ』と言ったら、その人は何かあっても二度と教えてくれないだろう。『ありがとう』と言って聞かなきゃいけない」と。そのように養父が何度も語っていたことを思い出します。

 いまの私をつくったのは出会いです。私は恵まれた人間でした。ゼロのところから、こんな光の当たるところまで連れてきていただいた。それは本当に稀な人生だと思います。これは運命です。私の努力とは関係ない。努力が報われた、なんて一切思っていないです。運命とは、逃れられないもの、決まっているもの、です。運命は変えられない。でも、解釈を変えることはできるでしょう。私が小さい時に体が弱く、小児麻痺になったというマイナスのカードを持っていたことは不運であったともいえますが、それが歌舞伎への道へ導いたと考えると、幸運だったともいえます。同じようにいまは豊かで便利な時代になりましたけど、これから生きていく人は気の毒かもしれません。不幸であることも深く感じない代わり、幸せも薄いでしょう。よくも悪くも人生観が薄いということかもしれません。ただ、こんなことを言いながら私は意外と楽天的なので、日本の若者にも歌舞伎の将来にも絶望はしていないんです。私はこのところずっとこう思っています。こういうものって飛び火すると。直に会っていないのに伝わることってあるんです。逆に直に伝えたがために伝わらないこともある。私が先人から教えていただいた歌舞伎の精神のようなものが、いつかどこかで誰かに飛び火して、オン・オフの時代にも飽き足らず、道を求める若者が出てくるんじゃないかって。だから、私はいま自分がしっかり生きていくことだって思っています。もうそれしかないです。残された時間が短いですから。私があと20歳若ければ全国各地飛び歩いて指導することもできるでしょうけれど、それはもうできません。飛び火することを祈って、きょうに最善を尽くし、行き届いた時間を過ごすしかないんです。


 2012年に「人間国宝」となった五代目 坂東玉三郎さんは、幼少期に小児麻痺を患い、そのリハビリのために踊りを習い始めたことが、歌舞伎への道へとつながりました。しかも、世襲が多い歌舞伎界において、玉三郎さんは梨園(歌舞伎役者の家系)の出身ではなく、料亭のお子さんだったそうです。十四代目守田勘彌さんの養子となって、ひたすら稽古に励んだ末に、今の玉三郎さんがあります。

 歌舞伎の舞台で長期にわたり大役を演じ続けている玉三郎さんはストレスを感じないと自身では思っていたそうですが、血液検査をした医師から「ボクサーほどのストレスがかかっています」といわれるほど、たいへんな世界であることがわかります。

 最近、歌舞伎は映画「国宝」の大ヒットにより、若い人を含め新たなファンを生んだり、敷居が高いと感じていた人たちが興味をもったりするきっかけになったようです。おかげで、観客動員数が急増しているとのことです。また、歌舞伎だけでなく伝統芸能への興味を持つ人も増え、養成所への問い合わせや入所も増えているそうです。


 玉三郎さんの言葉の中にある十三代目守田勘彌さんの「草履の紐のエピソード」、なるほどなと感じました。人から助言やアドバイスなどをいただいたときに、どう対応していくかを改めて考えさせられました。そして、玉三郎さんの生き方から素直さや謙虚さ、感謝の気持ちを持ちながら、日々精進することがいかに大切であるかを教えてくれています。


(ひとりごと第1136号)