【12月18日】待ってはくれない
- 公開日
- 2025/12/18
- 更新日
- 2025/12/18
校長のひとりごと
今朝の西日本新聞のコラム『春秋』からです。
まちで長く親しまれてきた店が閉じる。そんなニュースを耳にして、最後にもう一度と惜しむ人々が列をなす。幾度も見てきた光景だ。後継者が見つからなかったり、客が減って経営が厳しくなったり、都市化や過疎化、高齢化、はやりすたり。理由はいろいろあるが、目まぐるしく変わる時代に、移ろいやすい客を相手に商売を続けるのは易しいことではない。
大規模な再開発が進む福岡市・天神で、老舗のそば屋が73年の歴史に幕を下ろす。新聞社の本社に近いこの店には、多くの同僚もお世話になった。入居するビルの再開発と人手不足が理由という。最後の日を前に、行列が延びている。
数年前のテレビドラマに、こんな場面があった。主人公は、個人や家族経営の良心的な店が次々と消えていく世を嘆き、娘を前に諭す。どんなに身近な店でも、いつでも行けると思わないこと。どんなに大切な人でも、いつでも会えると思わないこと。積極的に関わることでしか、その関係は守れないのだ、と。久しぶりに訪れて、やっぱりいい店だなと感じる店は、足を運ばない間も変わらずいい店であり続けている。店も人も同じ。後悔するくらいなら遠慮せず、あれこれ考えず「電話しろ。手紙を書け。会いに行け」。主人公の忠言である。
常ならぬこの世だと分かっていても、そのうちに、とつい先延ばししてしまう。店も人も、ずっと待ってはくれないのだ。
私の息子(35歳)の同級生が、昨日亡くなったとの連絡が入りました。今日の夕方が通夜とのこと。息子が小学校時代には、毎年同じクラスでもあり、私の自宅に何度も遊びにきていました。登校途中に興味のあるものがあると集中しすぎて周りが見えなくなるようなこともある子でしたが、明るくそして人懐っこく、小学生なのに大人びた話しぶりでもあったりして、私はとっても大好きな子でした。数年前、その子が病気にかかっていることを息子から聞いてはいたのですが…まさかこんなことに。会いに行きたいときに会っておかないと…会いたいときに会えない…。このコラムを読みながら、改めて後悔した私です。
私の両親の話を、ひとりごとでも何度か伝えたことがありますが、「いつでもいるのが当たり前」「いつまでも元気でいるのが当たり前」ではないことが頭ではわかっていても、日々の忙しさなどで「また今度…」「またいつか…」と思っているうちに時は流れ、当たり前ではない現実を迎え後悔する。
「思い立ったが吉日」。
「声を聴きたくなったら電話する!」「手紙でなくともメールする、ラインをする!」「行きたいと思ったときに行く!」「会いたいと思ったときに会いに行く!」「訪れたいと思ったときに訪れる」…可能な限り、できるだけ早く行動に移すことを心に留めておかなければと思います。
(ひとりごと第1137号)