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【1月23日】おなまえかいて

公開日
2026/01/23
更新日
2026/01/23

校長のひとりごと

 今朝の西日本新聞のコラム『春秋』からです。


 今年の大学入試共通テストを最新のAIに解かせてみたところ15科目中9科目が満点だったそうだ。ただ、国語の正答率は9割にとどまった。文脈や行間に潜む機微をつかむのは、まだ人間の方に分があるということか。

 共通テストと同じ日、神戸市の私立灘中でも入試があった。国語の読解問題に使われた詩が話題を集めている。パレスチナ自治区ガザで続く惨状を背景につづられたゼイナ・アッザームさんの「おなまえ かいて」だ。


あしに おなまえかいて、ママ

ママのあしにも

ママとパパの おなまえかいて

そしたらみんな あたしたち

かぞくだったって おもいだしてもらえる


 詩の一節である。

 爆撃で殺されても身元が分かるように、親が子の足に名前を記すことがあるとの注釈を添えた上で、出題者はこう問う。このときの家族はどんな状況ですか、誰が思い出すのですか。詩を翻訳した原口昇平さんは「出題者が子どもの力も言葉の力も信じ抜いている」とSNSに感銘を記した。わずか12歳の受験生たち。強烈な詩の言葉に息をのんだ子もいただろう。筆記具の音が響く静かな教室で、はるか遠くの爆撃音を聞いた子どももいたはずだ。

 受験生が解答用紙に記す名前は明日をつかむための一歩。足に書かれた名前は、明日をも知れぬ命を諦めないための祈りか。遠くにいる他者への想像力を問うテストは、大人に向けられた問いでもある。


 詩を読んで、朝から胸が痛くなりました。

 たとえ何かがあったとしても、誰だかわかるように名前を書いて! 誰が誰の家族だったのか…日々続く爆撃、瓦礫とともに誰の遺体かすらわからなくなる現実。自分の存在を忘れないでいてほしいという願い。何より、明日も生きていたい、家族と一緒に安心して幸せに暮らしたい。もし私が死んだとしても、私たちが愛し合い幸せな家族であったということを忘れないでほしい。人間としての大切な「尊厳」を守るための叫びなのだと思います。

 子どもたちにとって名前を書くということは、本来、自分の大切な持ち物であったり、学習のときのプリントであったり、未来に向かって必要なことに対して行う行為です。それなのに、いつくるかわからない「死」への準備となっている、子どもにとって「死」が日常になっている現実…

 大人のエゴ、欲、身勝手な理由…で起きている戦争や紛争。どれだけの子どもたちや罪のない人がその犠牲になっているのか。大人が考え背負い、責任を取るべきことなのに、子どもたちがこんな思いをしている。しかも、ゼイナ・アッザームさんの詩には、「助けて!」とか「戦争をやめて!」とか「大人のせいでこんなことに…」なんて言葉は少しもありません。ただまっすぐに、「おなまえ かいて」、そして、「わたしが誰であるか、誰の家族であったか、覚えていてほしい、思い出してほしい」という切なる願いが書かれています。今もあたたかいところでぬくぬくとしている自分が情けなく感じたりしています。

 この子のような思いを、二度と子どもたちにさせないために、この詩の重みを深く受け止め、世界中の大人が真剣に向き合う必要があると感じています。本当に正しいことは何なのかを問い続けながら、子どもたちの笑顔と未来のために、自分にできることを一つひとつ、誠実に取り組んでいきたいと思います。


(ひとりごと第1152号)