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【10月2日】かけがえのない命

公開日
2024/10/02
更新日
2024/10/02

校長のひとりごと

 昨日、能登の豪雨によって行方不明になっていた中学3年生の喜三翼音(きそはのん)さんと思われる遺体が、自宅から170キロも離れた福井港の沖合で発見されたとの報道があっていました。着ていたジャージーの腰辺りに手書きで「喜三」と書かれてた写真を父の鷹也さんが確認したとのこと。今朝の西日本新聞の一部を抜粋します。


 祖父の後を追い、輪島塗制作に関心を持っていた翼音さん。遺体の身元特定には至っていないが、「どこかで生きているんじゃないか」と希望を捨てず姿を探し続けた家族は涙に暮れた。9月30日に見つかった遺体は、長袖長ズボンを着用。豪雨で取り残された翼音さんへ、けがを防ぐためにと父鷹也さん(42)がLINEのビデオ通話で言いつけた通りだった。ジャージーには「喜三」の文字。警察からの連絡に、家族は泣きじゃくるしかなかった。鷹也さんは「思春期で僕の言うことを聞かなかったけど、最後は聞いてくれたんだ」と声を詰まらせる。

 翼音さんは中1の頃から、輪島塗職人の祖父誠志さん(63)が「輪島朝市」に構えていた店舗で接客の手伝いを始めた。元日の能登半島地震で店が焼失した後も、各地で開かれる出張朝市に付き添い、包装も会計も一人でできるまでに成長した。誠志さんとは、輪島塗の制作を教わると約束していた。「高校になったら少しやってみようかな」。進学しても誠志さんの仕事を手伝うと話していた。9月21日午前、豪雨が襲い、翼音さんがいた輪島市久手川町の自宅は流されて基礎だけに。創作する中では、小学校の卒業制作で輪島塗の「沈金」という技法を用いてバラの花を描いたパネルが見つかった。「最初からあれだけできることはそうそうない。才能があるんじゃないか」。誠志さんもうなる出来映えだったという。

 毎日多くの人が捜索に当たり、海では地元漁師も加わった。「たくさんの人が懸命に捜している姿を見て本当に胸が熱くなった」。誠志さんにとって「自分の命より大事だった」という翼音さん。「本当に優しい子だった。思い出すと涙が止まらない」と声を落とした。


 家ごと流されるとき、翼音さんは、どんなに怖かっただろうか、苦しかっただろうか…、翼音さんの無限の可能性、未来をも押し流してしまった豪雨。胸が痛みます。そしてずっと生きていることを信じ、探し続けた家族。悲しい、つらい、苦しい…そんな言葉では表せないくらいの深い悲しみがあると思います。もちろん、捜索に全力を尽くされてきた方々すべての思いはいかばかりか…。もちろん、まだ安否不明の方がおられます。まだ捜索は続いています。改めて自然の猛威、恐ろしさを感じずにはいられません。

 石川県内では、1月の地震で全壊、半壊などした家等の公費解体が6%ほどしか進んでいないとの報道もあっていました。また、今回の豪雨で、やっとの思いで住むことができるようになった仮設住宅が浸水被害に遭い、そこにも住めなくなり、また避難を余儀なくされた方々がいます。お店が地震の被害に遭いながら再建して新たなスタートを切ったと思ったら、今回の豪雨被害で絶望の淵に立たされている方々がおられます。被災された方々の状況や思いを知ると、言葉が出ません。私たちにできることは限られているかもしれませんが、どんな形であっても支援できることを少しでもしていきたい、そう思います。

 亡くなられた方のご冥福を心からお祈りすると共に、安否不明の方々の安全が確認されますよう願います。