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【4月26日】長い箸(はし)

公開日
2023/04/26
更新日
2023/04/26

校長のひとりごと

 本校の池田祐次教頭は、昨年度より毎週先生方へ「教頭だより」を発行されています。萩尾徹子教頭は本年度赴任し、『つくる』というタイトルで、各先生方の授業のよさについて不定期で教頭通信を発行し、職員の互いの授業づくりに役立つような取組をされています。
 池田教頭の便りは、教育に関する専門的な話題もありますが、子どもたちに伝えてほしいこと、人として大切なこと、共に考えたいことなどを昨年度からずっと続けられているようです。本当に素晴らしいと思います。池田教頭の今週号は、上田比呂志さんの『日本人しかできない「気づかい」の習慣』という本の中の言葉を紹介し、「気づかい」や「相手意識」の重要性を述べています。この気づかいや相手意識も、「利他の心」に通じると思います。稲盛和夫さん著『考え方』の中に、この利他の心をわかりやすく説明したたとえ話が載っています。

 あるお寺で修行僧の雲水(うんすい)が「地獄と極楽というのはどう違うのですか」と聞くと、老師は「地獄も極楽も外見上はまったく同じような場所だ」と答えます。どちらにも大きい釜があって、そこにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ただし、うどんを食べるには、物干し竿のような長い箸(はし)を使うことになっています。
 地獄に落ちてきた人たちの場合には、みな利己的な心の持ち主ですから、「オレがオレが」と、我先に食べようと釜の中にいっせいに物干し竿のような箸を入れてうどんをすくい上げようとしますが、あまりに箸が長く、うまくつかめません。そうちに、互いに相手がつかもうとしたうどんを奪おうと争いになり、うどんは飛び散るばかりで、一向に口に入りません。運よくうどんをうまくつかめたとしても、とても自分の口まで運ぶことはできません。結局、誰もうどんを食べることができません。それが地獄の光景です。
 一方、極楽では、条件は同じですが、非常になごやかです。みんな優しい思いやりの心の持ち主ばかりですから、自分のことを先に考えるのではなく、自分の長い箸でうどんをつかむと、「お先にどうぞ」と言って、釜の向こう側にいる人に先に食べさせてあげる。すると、向こう側の人も「ありがとう。今度はあなたの番です」と言い、同じように食べさせてくれます。だから、物干し竿のような箸を使っても、お互いに感謝を述べ合いながら、和気あいあいと食べることができます。阿鼻叫喚(あびきょうかん:非常に悲惨な状況に陥って、泣き叫び助けを求めること) の“ちまた”と化している地獄と同じ環境、同じ条件、同じ道具立てなのに、極楽ではまったく違う様相を呈しています。それはまさに、そこにいる人の心の状態の差だけと言ってもいいと思います。

 そして、稲盛さんは、こう続けています…
 環境も物理的条件も何も違わないのに、一方では修羅場のような怒号が響き渡り、奪い合いをしている。そして、結局誰も自分がほしいものを手に入れることができずに苦しみあえいでいる。それに対し、もう一方では、素晴らしい愛に満ち、お互いのために、相手のために尽くしてあげようとしている。そうすることでまた、相手から返ってくるという平和で幸福な環境で生きている。つまり、心の持ち方ひとつで、地獄は極楽に変わります。
 それは現実世界でも同じです。「自分さえよければいい」と利己の心をむき出しにして世間を渡っていけば、必ず軋轢(あつれき:仲が悪くなること) が生じ、さらに悪い方向へと自分を追いやってしまいます。そうした利己の心を離れ、まず自分から思いやりの心で周囲に接するようにする。一人一人がそうした「利他の心」を持つことで、潤いのある平和で幸福な社会が築かれていくはずですし、一人一人の運命も好転していくはずです。

 やはり、心の持ちようではないかと思います。そう言いながら私は、ついつい利己の心が湧き出してしまいます。そんな足りない自分を理解しながら、少しでも学びを進め成長していきたいと思う私です。