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【9月22日】ありがたい…

公開日
2023/09/22
更新日
2023/09/22

校長のひとりごと

 今日は、大城小学校の学校運営協議会(地域ぐるみの子育て会議)に出席させていただきました。大城小学校の藤田秀之校長先生・重松真里子教頭先生から、子どもたちの活動の様子や先生方の頑張り、地域の方と連携し様々な取組をしている報告等がなされました。小学校の先生方や保護者の方、地域の方々のおかげで、子どもたちが心も体も成長し、中学校に入学してきてくれる。そして、こういう会議で、子どもたちが安心・安全に、そしていきいきと楽しく充実した毎日を過ごせるようにするにはどうしたらいいかを、区長様をはじめ、保護者代表の方、主任児童委員の方、東コミュニティセンターの方、シニア会の皆さまなど、多くの方が熱心に意見を交わされ、協議している。本当にありがたいことです。中学校でも、皆さんが育て送り出してくださった大切な子どもたちのさらなる成長のために、尽力していかなければと改めて思ったところです。

 さて、先日保護者の皆さまにもご案内した「夢講座」。講師の腰塚勇人さんの『今こそ大切にしたい共育』から「『ありがとう』と『ありがたい』の違い」です。

 ある会社の社長さんから「腰塚さんは『ありがとう』もよく言うけど。『ありがたい』のほうがよく口にしますね」と言われました。そう言われればそうかも…。
 それは、事故で首の骨を折って、全身麻酔の経験を経て、身体障がい者になって21年目。その期間、毎日たくさんの方々に支えと助けがあって、生かされ、仕事をさせてもらいました。本当に感謝しかなく、ありがたい気持ちがあふれてきてしまうんです。今こうして生きていられるだけでも、身体が動いてくれるだけでも、ありがたくて仕方がないんです。だからこそ、その感謝に応えることはただ一つ、「今日一日、今ある命を本気で使うこと」。
 こう言っていただいた翌日のことです。私が毎朝読んでいる、鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)の一日一話で出会えた「ありがたい」のお話でした。「ありがとう」は誰もが口にする感謝の言葉です。この感謝は、いわば「体外語」というべき表面的な言葉。一方、「ありがたい」は、言葉では言い表せないくらいの感謝の気持ちです。いわば内に秘めたる「体内語」だと思います。
 私は「ありがたい」という気持ちを大切にしながら、これまでも多くの方々とご縁をつないできました。何より、鍵山さんをはじめとして、学びをいただける人生の先輩の存在は本当にありがたいことです。そして、命があること、身体が動いてくれること、ありがたすぎます。

 私もどちらも使いますが、そこまで深くは考えず、感謝を表す言葉として使っていました。その中で「『ありがとう』はめったにないという『有り難し』からきた言葉」と記憶しています。また、「ありがとう」の反対語は「当たり前」とも言われます。ですから、当たり前だと思うと感謝しない、感謝できない。○○は当たり前でなく、かけがえがないとかめったにないと思えば日頃の小さなことにも感謝が生まれる。
 また、別の資料には、「ありがたい」と「ありがとう」の違いがこう書かれていました。
 自分が困っている状況であるとき、人から手を差し伸べてもらったことで救われたという状況で使われているのが「ありがたい」であり、困難や問題を乗り越えたとき相手へ感謝するときに伝える言葉。一方の「ありがとう」は、普段の生活で何気なく助けてもらったときや、悩みを聞いてくれたときなど人のちょっとした恩に対して感謝する気持ちを伝えるときに使われているという違いがある。
 
 これらのことからすると、「ありがたい」の方が「ありがとう」よりも心のうちから出てくる大きな感謝なのかもしれません。しかし、意味合いの違いや使い方の多少の違いはあっても「感謝」の言葉であることにかわりはないと思います。今日を迎えられてありがたい。生きていることがありがたい。命をいただいてありがたい。○○さんがいてくれてありがたい。支えていただいてありがたい。○○があるからありがたい…
 だから、日常の小さなことにも感謝をし、「ありがとう」をきちんと言葉にして、互いに言い合える世の中であればと思います。