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【10月20日】私の母[その5]

公開日
2023/10/20
更新日
2023/10/20

校長のひとりごと

(※10月19日の「ひとりごと」の続きです)
 合唱コンクールが終わったその日の夜、母がいない寂しさに包まれながら、父親と二人、母の遺影の前で、母との昔の思い出などを、何気なく話していました。その中で、父が突然こんなことを私に聞いてきたのです。
「お前は、あいつ(私の母のこと)の中学校のときの夢は何だったか聞いてるか?」 
 私の母は、中学しか出ていません。学校での成績はトップだったらしく、担任の先生は、父親(私の祖父)に進学を勧めたらしいのですが、商売をしていた私の祖父は、「進学とかせんでいい。家の手伝いをさせるから」と、進学をさせなかったとだけ聞いていました。夢が何だったかとか、母からは聞いていなかったので、「知らんよ」と私は答えました。すると、父がこんなことを言ったのです。

「あいつ(私の母)の夢は、実は、学校の先生になることだった。だけど、自分は中学までしか行けなくて、その夢は叶わなかった。だから、お前が中学校の先生になるって言って、そして実際になったとき、あいつは自分のことのように心から喜んだ。お前が私の夢を叶えてくれたって…」 

 私は、言葉が出ませんでした。私が大学を卒業するまで商売をしていた両親。朝から晩まで寝る間も惜しんで仕事をしてきた母。忙しいときには、ご飯ですら立ったまま済ませるほどでした。お客様に理不尽な文句を言われようともただひたすらに頭をさげ、いつも笑顔で対応していた母。そして、人の役に立つことならと地域の役を進んで引き受けたり、隣近所のお手伝いを進んでしたりと、どこまでも人のために尽くしてきた母…。思い返すと、私をいつも信じてくれて、いつも全力で応援してくれた母。私のことを常に応援し、サポートし、私の健康にも気をつかってくれた母…。
 そんな母の夢が、「教師になること」だっだとは…。私の胸は張り裂けそうでした。もう枯れるほど泣いたのに、自然と涙が溢れてきました。
「また元気になったら、紅葉を見に行きたいね!」
 と言っていた母を、連れていってあげられなかった。旅行だけでなく、日本舞踊や音楽なども大好きな母が喜ぶようなところに、もっと連れて行ってあげたかった。母が喜ぶことをもっともっとしてあげればよかった。仕事ばかりしないで、もっとたくさん親孝行しておけばよかった…と、母が亡くなったあと、後悔ばかりしていました。

 母の夢を父から聞き、私が教師になってきつくて辞めたいと思ったことも幾度となくありましたが、曲がりなりにも頑張っていたことは、少しは母への「親孝行」そして「恩返し」になったのかと思いました。私が教師として頑張っていたことが、もしかしたら、母の「励み」にもなっていたのかもしれない…そう思いました。
 仕事がきつくて笑顔を忘れてしまいそうになることがあります。投げ出したくなることもあります。しかし、母がいつも言っていた「笑顔」「感謝」「起きることにはすべて意味がある」、そして、「素敵な子ども達やね〜。あんた、こんなに素敵な子どもたちに出会えるなんて幸せやね!子どもたちに感謝しないとね!」…これらの言葉を思い出し、常に前向きに頑張っていた母の姿を思い浮かべ、まだまだ私は頑張らなければと思っています。「母」と「合唱」、「優しい子どもたち」のことが重なる、私にとっては特別な「10月」です。

 最後に、子どもたちに伝えたい。
 これからも、夢や志をもって、精一杯努力してほしい。たとえ失敗しても何度も何度も立ち上がり前を向いて進んでほしい。誰だってうまくいかないことがいっぱいあるのだから。自分の可能性を信じ、チャレンジし続けてほしい。あなたはできる!きっとできる!あなたの可能性は無限大!
 かけがえのない命、かけがえのない自分自身を大切に。今を大切に…そして、人を大切に…。
 あなたの後ろには、いつもあなたを全力で愛し、全力で応援してくれる人がいてくれるのだから…。

※読んでくださってありがとうございます。皆さんの心に何か伝われば幸いです…