【3月18日】困難には意味がある
- 公開日
- 2024/03/18
- 更新日
- 2024/03/19
校長のひとりごと
本日午後は、2年生が4年ぶりのクラスマッチを行っています(写真)。男子は体育館でバレーボール、女子はグラウンドでキックベース。そして最後にクラス対抗の全員リレーを行っていました。相当な盛り上がりで、子どもたちの笑顔と歓声が溢れています。今年度、クラス一丸となって取り組む最後の行事。やはり、こういう行事は本当にいいですね!明日は、1年生のクラスマッチとなります。
さて、人間学を学ぶ雑誌『致知』に、日本赤十字看護大学名誉教授の川嶋みどりさんという方のインタビュー記事が載っていました。川嶋さんは現在92歳。日本赤十字社中央病院に勤務後、日本赤十字看護大学教授、そして看護学部長、客員教授を経て現職。92歳のいまなお講演活動や雑誌の刊行などを通じ、よりよい看護のあり方とは何かを追求し続けておられます。日本の「ナイチンゲール」と呼ばれている方です。その記事の中の「困難には必ず意味がある」というところを抜粋します。
まあ、長生きすることは喜びばかりじゃなくて、その途上には困難や別れが待ち受けているもの。15年前夫をがんで亡くしたこともそう。何より辛い思いをしたのは、20歳の長男が突然この世を去ったことですね。あれは私が40代半ば、二浪していた長男が大学入試を終え、合否発表を待ちわびている頃でした。友人とお酒を酌み交わし一人電車で帰路につく折、誤って線路に落ちてしまった…。即死でした。警察の一報を受け駆けつけたときには、棺(ひつぎ)のなかに横たわっていました。看護師として多くの死と向き合ってきたのに、息子には何もしてやれなかった。この辛さは、表現できないですね。泣くというよりも吠えて転げ回るようでした。
4人で囲んでいた食卓が3人になって、何を言われても慰めの言葉なんか耳に入らないんですよ。10年ほどは涙が枯れることはなく、悲しみに暮れた夫はお酒に溺れて、けんかも絶えませんでした。いまも車に乗っていると、バックミラーには長男の顔が映るんです。大きな声で笑っていても、心の底から笑えていない実感がずっとある。それくらい我が子に先立たれた親の悲しみは深いんです。でもね、あの辛さを経験していなければ、本当に傲慢(ごうまん)な人間になっていたと思うの。我が子を失う悲しみを知っていたからこそ、阪神・淡路大震災や東日本大震災で被災地に赴いた際、「あんたに分かるわけない!」と罵倒されても、「そうよね、辛いよね」っていう一心で触れ合えた。それは看護の仕事をする上で、とても大事なことではないかと思うんですね。
困難を与えられるということは、そこに必ず意味があります。でも、その意味は自分でつかみ取るしかない。だから困難に直面した時、泣いてあきらめたり、うちひしがれるのではなく、まず受け入れる。そして一歩でもいいから足をかけ、バネにして乗り越えてほしい。そのすべてが人生の糧になり、輝かしい明日に繋がっていきます。困難は人生に訪れるハードル。そのハードルを乗り越えた先に待ち受ける喜びは誰のものでもない、自分だけのものなんです。
40年前のあの日以来、生前に長男が毎朝コーヒーを淹れてくれたように、必ずコーヒーを遺影の前に供え、手を合わせて一日をスタートさせます。年月とともに体は徐々に衰えても、日常の些細なことに感謝して、工夫しながら働くことが楽しい。そうやって、倦(う)まず弛(たゆ)まず[意味:飽きたり怠けたりしないで]工夫を重ね、生命を目いっぱい輝かせて天寿を全うしたいですね。
息子さんを不慮の事故で亡くし、悲しみに打ちひしがれる日々を送られ、そして乗り越えてこられた川嶋さん。
「困難を与えられるということはそこに必ず意味がある」「そのすべてが人生の糧となり、輝かしい明日に繋がる」「日常の些細なことに感謝」「生命を目いっぱい輝かせて」…。
最愛の息子さんの死という、到底受け入れられないようなことを経験された川嶋さんだからこその重く深い言葉…。イヤなこと、苦しいこと、困難なことに出くわすとすぐ、「なんで自分はこんな目に…」とか「なんで自分だけ…」とか思ってしまう未熟な私ですが、少しでも川嶋さんの言葉をもう一度噛みしめ、命を目いっぱい使って、精一杯に生きなければと思います。