【12月9日】やってわかることがある
- 公開日
- 2024/12/09
- 更新日
- 2024/12/09
校長のひとりごと
東京大学名誉教授の養老孟司さん著『人生の壁』からです。
大学で教授をやっている頃、助手の中にはお葬式で挨拶するのを「絶対嫌だ」という人がいました。身内のお葬式ではなくて、大学に献体してくださった人のお葬式です。私は「黙っていけ」と言って、取り合いませんでした。今ならパワハラと言われるかもしれません。本人の意にそぐわない業務を無理強いした、と叱られそうです。嫌がる気持ちはよくわかるのです。私も嫌でした。献体していただいた恩はあっても、まったく知らない方の葬儀で挨拶するのですから、気分が乗る方がおかしい。しかし、別に名演説を期待されているわけではない。一言、二言何か言えばおさまるのですから、そのくらいはできなければ仕方ない。
そんなノウハウを身につけても、普遍性がないと思われるでしょうか。でも、そこで何を言うかを自分の頭で考える経験を積むのが大切なのです。その経験から、人前で話をするにあたっては、ある程度本音が入っていないと駄目だと気づくはずです。献体者の葬儀における本音とは、「献体してくださって本当にありがとうございました」です。それさえきちんと言えればいいのです。
ここで事前に教授である私がこういうことを言え、と具体的に教えては駄目です。「絶対に嫌だ」と思っている本人が考えたうえで、苦し紛れでもいいから挨拶をひねり出さなくてはいけない。こういう経験もまた修行なのです。下手に事前にカンニングペーパーをもらって、暗記していっても駄目です。それでは伝わらない。そういう意味では安易に準備をしないということも大事です。そもそも人生とはそういうものでしょう。
準備できないこと、予期しないことが次々目の前に現れて、それに対処せざるをえなくなる。人生はその繰り返しなのです。他人の物差しで評価される「スキル」は案外、役に立ちません。
このタイトルには「嫌なことをやってわかることがある」と書かれています。
生きていれば多くの人が、「嫌だなぁ」と感じる仕事、気の進まない仕事を引き受けたり担当したりすることがあると思います。もちろん、どんな仕事も常に前向きで喜んでされる方もおられます。しかし私は、今まで何度も自分自身が気が進まない、できれば避けたいような仕事をせざるを得ないことがたくさんありました。その都度、悩み、少し後ろ向きになったりしながらも、する以上はそれなりにきちんとしたい、少しでも喜ばれるようにしたいと思いました。ですから、そのための準備も長い時間かかることもしばしばでした。ただ、「嫌だなぁ」とか、「したくないなぁ」と思う仕事をしたあとは、またそれは自分の経験となり、力にもなってきたとも思います。ですから、何でも経験だし、失敗しながらもチャレンジすることが大事なのだと思います。
それと、養老さんがおっしゃっているように準備もできない状況の中で、突然の対応や話をしなければならないことがあります。限られたわずかな時間の中で、考えを整理し、話をすることもあります。もちろん、こみ上げてきた感情を思い切りぶつけるようなこともあったと思います。それでも「思い」を伝えることは必要だと思います。
私は人前で話をするときは、基本的に原稿は準備しますが、何よりわかりやすく、具体的なことをできるだけ入れながら、心を込めて、少しでも「伝わる」ように…それだけを心がけています。「伝えたつもり」にならないように「伝わる」ように。しかし、現実は、反省の連続です。なかなか難しい…それが本音です。