【12月12日】メメント・モリ
- 公開日
- 2024/12/12
- 更新日
- 2024/12/12
校長のひとりごと
養老孟司さん著『人生の壁』の「コスパを追求して何になるか」の一部抜粋します。
厄介なことを避けたいのは当然です。しかし、人生において効率のみを追求することはおすすめしません。大切なのは、精一杯生きること、本気で生きることです。
好きな言葉に「メメント・モリ」と「カルペ・ディエム」があります。いずれもラテン語で、「メメント・モリ」は「死を想え」、「カルペ・ディエム」は「今日を精一杯生きろ」。二つの言葉は対になっていて、中世の修道院で挨拶のように応酬されていたといいます。最近、ヤマザキマリさんは『CARPE DIEM 今この瞬間を生きて』(エクスナレッジ)という本を出しました。茶道の裏千家の代表的な茶室、今日庵も同じ考えから名づけられています。「今日を生きる」ことの大切さが名前の由来です。
しかし、この「今日を精一杯生きる」ことへの思いが今は足りないのではないでしょうか。本気で死を想っていないから、精一杯生きることも真剣に考えていない。がんになって余命宣告でもされれば、「今日」の大切さに気づくのでしょうが、普段はそうはならない。余命一年だと言われれば、会社を辞めようと思う人は多いでしょう。しかし、ではなぜ今辞めないのか。生活のために働く必要があるのは当然として、現代人は本気で生きることを考えていないのではないか。
コスパ、タイパといった言葉に象徴されるように、いまは本気とか全力といったことの価値を軽く見ているのではないでしょうか。コスパはコストパフォーマンス、タイパはタイムパフォーマンスの略です。費用対効果が良ければコスパがいい、あまり時間をかけないで成果が上げられれば、タイパがいいということになる。つまり余力を残すことにものすごく価値を置いています。全力で何かを成し遂げるよりも、何割か余力を残したほうが「パフォーマンス」はいいのですから。勤め人であれば、定時になれば帰る、土日には必ず休む、というのもそういう価値観につながっています。全力を尽くすこと、全精力を傾けることを、ともすれば損をしているように捉えている。7割の力で会社に与えられたノルマが達成できれば結構なことだと考えているようにすら見える。これがわかりません。もしも全力を尽くせることがあるのならば、ありがたいことなのにです。他人と比べて、自分のコスパやタイパを考えて、損をしているなどと計算することに何の意味があるのか。…(後略)…
勉強不足な私は、「メメントモリ」という言葉は、テレビ等のCMでも流れているゲーム名としか思っていませんでしたが、「いつか訪れる死を想い、今を精一杯に生きること」に繋がる言葉だったことを初めて知りました。
人は皆、いつかは命が尽きるときがくる。頭ではわかっていても、そのことを意識せずなんとなく生きている。または「要領よく生きる」ことばかりを追い求めて毎日を過ごしていることへの警鐘ではないかと思います。以前の「校長のひとりごと」の中でも、明るい「未来」、よりよい「未来」をつくっていくためにも「今」を大切にすることについて述べたことがあります。私は、コスパ、タイパがまったく駄目だというわけではないと思います。しかしながら、そればかりを追い求めていると、物事の本質からそれていったり、充実感や満足感、やりがいを感じなくなることもあるのではないかと思います。
私たち教師の仕事も子どもたちのために一生懸命に取り組むことは、お金や時間に変えられないとても素晴らしい価値があると私は思っています。私は今までも、そして今も、子どもたちから、お金では決して買えないたくさんの「宝物」をいただいています(^_^)