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【3月12日】未来に向かって…

公開日
2025/03/12
更新日
2025/03/12

校長のひとりごと

 昨日はニュース等で、東日本大震災関連の様々な報道がなされていました。14年経てども悲しみや寂しさは決して消えることはないのだと改めて思いました。

 昨日の西日本新聞のコラム『春秋』からです。


 震災後の東北では、幽霊の目撃談が相次いだ。亡き人の霊がタクシーに乗るという話もその一つだ。先日放送されたテレビドラマ「水平線のうた」は、津波にさらわれた妻と娘に一目会えるならばと、タクシー運転手として働き続ける父親が主人公。遠い町に漂着していた、妻が手書きした泥だらけの楽譜が人生をつなぐ物語だった。

 昨年訪れた宮城県気仙沼市で、今も泥まみれの物を見た。リアス・アーク美術館は地震と津波のがれきの中から収集した、持ち主の分からない品々を展示している。炊飯器、笑顔一杯の「プリクラ」帳、ミニーマウスの人形、足踏みミシン、喫茶店のシュガーポット、ファミコン、家の呼び鈴…。乾いた土がこびりつき、砂が入ったままの姿で並べられている。がれきという言葉はここでは使わない。ごみとして処分されていたはずの生活用品には、被災者の人生の記憶が宿っている。そう考えた学芸員の山内宏泰さんは、辞書にもない「被災物」と名づけて、展示を始めた。一つ一つの物にエピソードが添えてある。持ち主に聞くことはかなわない。山内さんは一被災者として物に宿るエピソードを想像し、地元の方言で物語を書いた。見る人が、あの大震災を共有し、自分の身に置き換えて考えてもらうために。

 東日本大震災から14年。〈反省とは未来を考えること〉。気仙沼の美術館が、被災物に託したメッセージである。


 昨日のひとりごとにも、遺留品が47万点も残っているということを載せました。また、昨日のニュースの中で、そのような遺留品(被災物)をもうすぐ処分するので、心当たりの方は早めにお取引にきてほしいとの連絡があり、そこに向かう男性の方の姿が映像に映し出されました。館内に入りはしたものの、いざ遺留品の置かれた場所に行こうとすると足が動かなくなったのです。その方の目からは涙が溢れていました。涙が止まらなくなり、一歩も動けなくなったのです。その後、インタビューを受けた男性は、

「亡くなったという事実を受け止め、前に進まないといけないと思い、ここに来ました。しかし、いざ、ここに家族の大切なモノがあるかと思うとなぜか、怖くなって悲しくなって動けなかったのです…」。

 14年が経とうとも、その悲しみの深さはとてつもないものだと私は思いました。人々の命を、家族の命を、幸せな当たり前の日常を奪っていた大地震と大津波。以前紹介した階上中学校生徒会長、梶原さんの卒業式での答辞、「自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切な物を容赦なく奪っていきました…」という言葉を思い出しました。

 私たちは、東日本大震災で得た教訓を今後も伝え続け、当たり前の日常やかけがえのない命を大事にするとともに、準備や備えについて真剣に考え、行動しなければと思います。