【4月23日】名人
- 公開日
- 2025/04/23
- 更新日
- 2025/04/23
校長のひとりごと
昨日の昼休み、陸上部の子どもたちが校長室を訪ねてくれました。
「日曜日はお忙しい中、僕たちの応援に来てくださってありがとうございました!」
と、お礼を言いに来てくれたのです。
「礼儀正しく練習にも熱心な先輩たちのいた陸上部は、よい伝統を引き継いでいますね。ロードレース・駅伝大会のときも、私が帰るときに、大きな声で『ありがとうございました!』とか『さようなら!』とか言ってくれて本当に嬉しかったですよ。これから、みんなから応援される陸上部であってほしいし、夏の大会へ向けてしっかり練習に取り組み、よい結果を残せるよう、頑張ってくださいね!」
と声をかけると元気に「はい!」と応えてくれました。これからのますますの活躍を期待したいと思います。陸上部の皆さん、わざわざ来てくれてありがとうございました!
さて、松浦弥太郎さん著『ご機嫌な習慣』の「今もとばし読みの名人」からです。
子どもの頃は、ひとりの世界に浸るのが好きだった。そんなときは大体、本を開いて、そこに書かれた物語やさし絵に夢中になった。本に手を伸ばせば、そこには自分だけの自由な時間と、想像の世界がどこまでも広がっているように思えた。どんなふうに読書を楽しんでいたのかと思い返した。ぼくはとばし読みが大得意だった。たとえば、学校で本を読む授業があると、誰よりも早く本を読み終えることができて、担任の先生を驚かせた。そのときは、叱られると思って、とばし読みをしているとは言えなかったが、担任の先生からは「松浦くんは、とばし読みの名人だね」と、すぐに見抜かれた。しかし、とばし読みをしてはいけないと、一度も叱られたことはなく、「すごいなあ」と、逆にほめられた。
とばし読みとは、わからないところは気にせず、どんどん読み進むことだ。子どもは何も知らないから、読むもの、観るものがわからないことが普通。だからこそ、わからないということは、子ども自身にとっては大した問題ではない。で、わからないものの中から、ほんの少しわかるものを見つけ手がかりにする。子ども特有の直感と洞察力によって、しっかりと本質をつかんで、大人が読むような物語にだって深く入り込んでいく力がある。
担任の先生はそれをわかっていて、ぼくを見守ってくれたのだろう。わからないからこそ、大事なことはわかっている。わかりにくい表現だが、それは確かなことだと思う。ぼくは今でも、とばし読みの名人だ。
私は、中学生の頃、本はほとんど読むことはありませんでした。夢中になっていたことと言えば、以前もお伝えした「バレーボール」と「ギターの弾き語り」でした。
バレーボールは母の影響で始め、熱血指導をされる先生のもと、たいへん鍛えていただきました。また、松山千春さんの「季節の中で」のギターの弾き語りに感動し、親に数ヶ月に渡ってお願いし続け、やっとのことでギターを買ってもらってからは、自宅にいるときはひたすら、ギターの練習に没頭していました。おかげさまで、教師になりバレー部の顧問を30年以上、そして担任をしているときは、毎年修了式の日に学級で子どもたちに弾き語りを無理矢理披露したり、卒業式前日の学年集会で歌ったりすることに繋がりました(校長になってからも弾き語りすることもありました…(^_^;))。
ただ、教師になり、特に教頭や校長になってからというもの、自分の勉強不足にあきれることもあり、もっと本を読んで勉強しなきゃと、少しは本も読むようになりました。それでもまったくの不十分で今も勉強中です。ただ、ある意味、時間も限られているし「流し読み」というか「とばし読み」のようなことをすることも多いです。その中で気になったところは何度も読んでみたり、このひとりごとの話題にしたりするようになりました。やはり本というものは、知識や視野を広げたり、感性を育てる意味で非常に大切だと思います。
“名人”とまではいかなくても、もっと学びを深められるよう精進しなくては…
(ひとりごと 第1003号)