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【6月2日】「当たり前」と「有り難い」

公開日
2025/06/02
更新日
2025/06/02

校長のひとりごと

 「ニューモラル」仕事と生き方研究会編『読むだけで人間力が高まる100話』の「『すみません』と『ありがとう』」からです。


 日常生活の中では、時にちょっとした親切に出会うことがあります。自分が落としたものを誰かに拾ってもらったり、道幅の狭い場所を通り抜ける際に道を譲られたり、建物へ出入りするときに一緒になた人がドアを押さえていてくれたり、エレベーターのボタンを代わりに押してくれたり…。

 そんなとき、私たちは親切にしてもらった相手に対して、どのような言葉を返しているでしょうか。多くの人が「すみません」と言う場合があるかもしれません。「すみません」という言葉は、お礼を言うときにも使われますが、謝罪や恐縮の気持ちを表す言葉です。確かに、他者から受けた親切に対して“申し訳ない”という気持ちを持つことも少なくありません。

 一方、「ありがとう」は漢字で「有り難う」と記されるように、存在するのが難しいこと、めったにないことを意味します。歴史をひもとくと、平安時代の『枕草子』には、「ありがたきもの、舅(しゅうと)にほめられる婿(むこ)、また、姑(しゅうとめ)に思はるる嫁の君」という例があります。この「ありがたい」とは、もともと神をたたえる言葉であったといいます。そして、室町時代ごろには仏の教えを聞いて感激する意で用いられており、めったにないことを感謝する意味になったのは元禄時代以降であるということです。

 このように、神仏に対して使われていた言葉が、時を経て、人に対するお礼の言葉として使われるようになってきたわけです(参考=堀井令以知編『語源大辞典』東京堂出版ほか)。

 私たちがふだん何気なく使っている言葉は、ほんのひと言で人を喜ばせたり、励ましたり、あるいは悲しませたり、傷つけたりする力を持っています。私たちの日常には、人に対して自分の気持ちを伝える機会が実に多くあります。見ず知らずの人から思いがけず善意を向けられた際にお礼の言葉を述べることは大切です。「ありがとう」というたったひと言が、身近な人の心やその場の雰囲気を、気持ちのよいものにしてくれるのです。

 日頃から「相手を思って言葉を選ぶ」ということを心がけていくと、それぞれの場面や状況に、よりふさわしく、より思いのこもった言葉を、おのずと紡(つむ)ぎ出せるようになっていくでしょう。


 私は学級担任をしている頃、ある時期、教師の前黒板の隅に「“ありがとう”と“すみません”の二つの言葉を大切に使いましょう」と書いていました。

 何かしてもらったら「ありがとうございます」。迷惑をかけたたときは「すみませんでした」…この二つの言葉がきちんと言えたら、人間関係は概ねうまくいくと私は思っています。人間は皆失敗することがあります。完璧な人間なんていない…私はそう思います。ですから、失敗したり迷惑をかけたときは心からの「すみませんでした」を言うことが大事です。そして、私たち人間は支え合い、助け合って生きています。そんな中で、自分のために時間を使ってくれたり、心遣いをしてもらったりすれば、「ありがとうございます」と感謝の気持ちを言葉にして表すことが当然ながら大事です。

 それなのに、人に迷惑をかけても「すみません」や「ごめんなさい」を言わない(言えない)又は、してもらったのにも関わらず「ありがとうございます」を言わない(言えない)ことで、人間関係がぎくしゃくしたり、相手に不愉快な思いをさせたりするのだと思います。要は、私たちが「感謝の気持ち」をもつことだと思うのです。そして、「当たり前」ではなく「有り難い」ことなのだと思うことなのだと私は思います。

 そんな気持ちを忘れないよう、おごり高ぶることなく、謙虚な気持ちで生活したいものです。


(ひとりごと 第1028号)