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【6月10日】1杯のお茶

公開日
2025/06/10
更新日
2025/06/10

校長のひとりごと

 昨夜から県内でも雨が降り続いています。筑紫野市では大雨警報が発令され、小中学校は「休校」になっているようです。今後、九州北部では夕方にかけて「線状降水帯」のおそれもあり、引き続き厳重な警戒が必要とのことです。被害等出ないように願うばかりです。

 さて、松浦弥太郎さんの『伝わるちから』の「幸運を分かち合う」からです。


 「三杯の茶」という大好きなエピソードがある。

 豊臣秀吉が鷹狩り(たかがり)の帰りに、近江伊吹山の観音寺に立ち寄った。雑用を営む寺小姓(てらこしょう)に、お茶を所望したところ、寺小姓は、最初に大きめの茶碗にぬるめのお茶を淹(い)れて出した。次に1杯目よりも小ぶりの茶碗にやや熱めのお茶を淹れて出した。そして最後に、小さな茶碗に熱いお茶を淹れて出した。

 のどが渇いているだろうから、最初にぬるめのお茶をたっぷりと出し、その後に、ゆっくりと休んでもらおうと、やや熱めのお茶を出し、最後にお茶の味を存分に楽しんでもらおうと、熱いお茶を出した、寺小姓のきめ細やかな気配りと、深い心遣いにいたく感激した秀吉は、寺小姓を家来として迎え入れた。その寺小姓こそ、その後の、豊臣政権の五奉行の一人、関ヶ原の戦いで名の知れた石田三成である。

 このエピソードは、人はいつも自分を助けてくれる、気転のきく、優秀な人を探しているとも教えてくれている。偉い人であればあるほど、きっとそうだ。

 常々思うのは、幸運とは、いつも誰かが運んできてくれるもので、自分一人で手にできるものではないということだ。幸運とは、拾うものではなく、必ず誰かが自分に手渡してくれるもの。そしてまた、自分も幸運を人に渡す立場であることを忘れてはいけない。幸運とはそんなふうに互いに分かち合うものである。

 だから、もし求めているものがあるなら、まずは先に自分から人に与えること。それはたった1杯のお茶からであってもよいのだから。


 「幸運とは拾うものではなく必ず誰かが自分に手渡してくれるもの。そしてまた、自分も幸運を人に渡す立場である…」という言葉に共感しました。

 自分ができる小さな気配りや心遣いのある言動によって、誰かが少しでもあたたかい気持ち、幸せな気持ちになってくれたら嬉しいと思います。そして私自身も周りの方のたくさんの気遣いや心配り、支えや協力によって幸せをいただいています。そのことが「当たり前」ではなく「有り難い」ことだと、心から感謝できる感性を持たなければと思います。

 今日もたくさんの気配りや心遣いであふれるよう、そして「今日」という日が素敵な一日になりますよう、心から願っています。


(ひとりごと 第1034号)