最近の記事はこちらメニュー

最近の記事はこちら

【6月12日】木の上に立って見る

公開日
2025/06/12
更新日
2025/06/12

校長のひとりごと

 6月9日付、日本教育新聞のコラム『不易流行』からです。


 観賞用に買った木の苗は小指より細く、風で折れないように添え木がしてあり、幹はワイヤーで固定されていた。植えて数ヶ月後に親指ほどの太さに生長した苗木の幹に目をやると、何かが食い込んでいた。添え木の固定ワイヤーだ。すぐに外そうとしたが簡単には外れず、最後はベンチを持ち出すことに。外すべき時期に外しておけば、何の苦もなく外せたワイヤーが、これほど外しにくくなり、なおかつ幹に傷をつけることになってしまった。小指より細い苗木にとっては、添え木とワイヤーは有益なものであっただろう。しかし親指ほどの太さに生長した木にとって、それは阻害するものとなったのだ。

 「子育て四訓」に、「少年は手を離せ、目を離すな」という教えがある。子どもを支えるときも、成長段階に応じた適切な支えでなければ、結果的に阻害要因となりかねない。植物と人間の違いはあるが、生命という視点から見ると通底するものがあるのではないか。手を離すタイミングはそれぞれ違って難しい。ここで手を離して大丈夫だろうかと、心配になって手を離せないことが、優しさ故であることも理解できる。しかし、どこかで独り立ちを促すときが来る。子どもに内在する力を信じ、離すべきときに手を離し、温かく見守り続けることが、健全な生長につながることを苗木が教えてくれた。


 「子育て四訓」とは、山口県の教育者の方が子育ての心得について提唱された以下の4つのことです(若干の表現の違いはあります)。

1 乳児の時は、肌身離さず

2 幼児の時は、肌を離して手を離さず

3 少年の時は、手を離して目を離さず

4 青年の時は、目を離して心を離さず

 青年の時の「目を離して心を離さず」とは親は何をしたらいいのだろうと思われるのではないでしょうか。つまづいたり転んだり失敗したりしても、我が子を信じること。きっと自分で立ち上がると信じて見守る(場合によっては声かけをする)ことなのだろうと思います。しかし、親としてどこまで関わるか、どれぐらいの距離感で関わるか、一概に線引きできるものではありません。どこまでも関わりたい…と思うのも「親心」です。一方で、少し距離を置き、子ども自身に考えさせるということもあるでしょう。しかし、どんな状況であったとしても親子であることは変わらないし、その絆は決して切れるものではありません。子どもの小さな頑張りを認め、励まし、何より可能性を信じて、背中を押してあげることが親として大切なのだと思います。

 ただ、「信じて見守る」「信じて背中を押す」ということも、言葉で言うのは簡単ですが、状況によってはとても難しいことでもあると思います。「絶対にこうすればすべての子に対してうまくいく」というような方法があればいいのですが…。

 私は、教師という仕事をしてきて、子どもたちに何度も伝えてきたことがあります。それは…

 親にとって子どもはかけがえのない“宝物”であること、どこまでもどこまでも深い愛情で子どもたちは見守られ支えられていること…。親は、我が子が自分の道を切り開き、よりよい人生を送ってほしい…、そう願っておられるし、子どものためならどこまでもどこまでも支え応援したいと思っておられる。そのことが、すぐにはわからなくても、必ずわかるときがくると思う。でも、少しでも早くその有り難さに気づき、感謝の気持ちをもてるようになってほしい。そしてその感謝は、あなたたちが前向きに頑張ってくれることできっと伝わると私は思う…。

 今回のコラムを読んだとき、以前ある方から聞いた言葉を思い出しました。

「親という字は、『木の上に立って見る』と書くように、中学生くらいのときは、近すぎず遠すぎずに見守ることが大切なんだよ…」。

 皆さんはどう思われましたか?


(ひとりごと 第1036号)