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【6月18日】日常は“有り難きこと”

公開日
2025/06/18
更新日
2025/06/18

校長のひとりごと

 人間学を学ぶ月刊誌『致知』に、元ゴールボール女子日本代表の浦田理恵さんとプロテニスプレーヤーの姫野ナルさんの対談が載っていました。お二人の共通点は、突然、不治の難病に侵されるも、自分の人生を諦めることをよしとせず、前進してこられていること…として語られています。今日は、浦田理恵さんにスポットをあてたいと思います。

 浦田さんは、熊本県生まれ、20歳のときに「網膜色素変性症」と診断され、徐々に視力を失っていきます。福岡県の視力センターでゴールボールを始め、ついには平成20年北京パラリンピックで五輪初出場を果たし、その後のロンドンパラリンピックでは金メダルを獲得し、東京パラリンピックまでの4大会で活躍されました。その後は、自分の様々な経験を生かしつつ、後輩の育成や講演会等をされているとのこと。対談での浦田さんの言葉から紹介します。


「私の場合はまず左目の視力が急に落ち始め、三ヶ月で見えなくなってしまいました。次に右目の視野が外側から少しずつ欠けてきました。見えていたものが見えなくなると、当たり前にできていたことが少しずつできなくなります。これは恐怖でした。毎日、鏡を見てメイクをしますよね。そこに映る自分の顔の見える範囲が、日に日に狭まっていくのが分かるんです。「あ、また見えなくなってる…」って。当時は一人暮らしで、身近に友達や先生はいましたけど、普通と違うことにコンプレックスというか、ばかにされたくないって思いがあって、目が見えないことを知られないよう必死で“見えるふり”をしていました」。

 浦田さんは、期待して仕送り等もしてくれる両親にも、そのことを言えず、苦しみ、引きこもりになったそうです。そして、22歳の年末、右目もほとんど見えなくなって、「もう限界だ、早く楽になりたい」と考えた矢先、電話がかかってくる。ふと、「死んで親を悲しませるくらいなら、きちんと親に伝えよう」と、少しだけ残った視力と記憶で電車に乗ります。到着した駅で待っていたお母さんに「私…お母さんの顔、見えなくなったんよね…」。「何ばいいよっとね、冗談言って…。これ何本?」と指を出したお母さんの手を触ろうとした瞬間、お母さんは号泣されたそうです。その後、病院に行き検査をして難病であることを知ります。両親は「見えなくなっても、何かできることを探さんとね。一緒に前を向いて頑張ろう」と言って応援してくれたそうです。お父さんの「今頑張っている福岡で自分のできることを見つけて頑張れ」という言葉にも触発され、福岡に戻られます。思うようにいかない毎日の中で、自分の弱さに向き合ったときにゴールボールに出会い、人生が大きく動いていく…というわけです。

 浦田さんの言葉を抜粋して載せます。

◆私は目が見えなくなってはじめて見えるようになったものがあります。それは「ありがとう」です。それまでは、目が見えること、ご飯が食べられること、学費を出してもらえること、家族がいてくれることが、すべて当たり前になっていました。その日常は「有り難き」ことだったんです。

◆日常に感謝できるようになったとき、「見えなくなったことにも意味がある」と思いました。目が見えないから人生ダメだとか、見えないから不幸ってことはないんです。その意味は自分で見出すもの。幸せは自分で見つけるもの、感じるものだったんですね。

◆(ロンドンパラリンピックで優勝したとき…)勝ちを引き寄せるために大事にしてきたことがあって、それが「笑顔」。当時のコーチに「勝利の女神はニコニコ笑顔が好きなんよ」って言われていました。ですから、決勝の試合前も観客席に笑顔で手をふり、これまで支えてくれた人たちに「ありがとう」を伝えようとしました。その結果、試合中も終始笑顔で金メダルを獲得しました。…笑顔で引き寄せられる勝利ってあると思います。

◆(金メダルをとったあと日本全国の顔も知らない人たちから「勇気をもらった。ありがとう」と言われたとき)「誰かがいなければ何もできない自分」が完全に変わりました。自分にはできることがある、そのできることで生きていけばいい。できることで「ありがとう」って言ってもらうために何ができるかなと考える方が大事ですよ。

◆命は自分が使える時間。その使い方は自分でコントロールできます。だから私の一念は、自分の人生を決して人任せにしない。日々忙しくて思考が止まりそうになるけれど、いつも自分の感性を発動して生きたいんです。


 浦田さんのたくさんの言葉から、勇気と元気をもらうことができます。「有り難い」今に「感謝」をしながら、何ができるのか?何を頑張るのか?誰かのためにできることはないのか?…そんなことを考え、一日一日を精いっぱいに生きたいと思います。


(ひとりごと 第1040号)