学校日記

【10月2日】私の母[ep1]

公開日
2020/10/02
更新日
2020/10/02

Kのつぶやき

 昨日は本当に綺麗な「中秋の名月」でした。外は、少しひんやりとしていましたが、まさに空気が澄んでいて肉眼でもはっきりとわかる素敵な月でした。
 さて、10月は、私の母の十三回忌、そして来月は一昨年11月に亡くなった父の三回忌です。母が亡くなってから、もう12年も経つのかと時の流れの早さに驚かされます。本年度中止になった合唱の時期でもある10月は、私にとっては一年の中で特別な「月」になっています。母のことを偲びつつ数回に分けて、私の母にまつわる話を以前の学校便りに載せたことも交えて数回に分けて書かせていただきます。

 12年前の10月21日、私の母は、5年半ほどガンと闘い亡くなりました。最初に大腸ガンの手術をし、その後、肺への転移が見つかり再手術の日程が決まった当時、私は2年生の担任をしていました。ちょうど「春に」という合唱曲をコンクールへ向け歌い始めた頃でした。そんな中、私は母の手術のために学校を休まないといけなくなり、子ども達へ申し訳ない気持ちもあって、正直に休む理由を話しました。母がガンと診断されたときの自分の動揺ぶり、祈るような気持ちで一度目の手術を迎えたこと、そして無事成功し喜んだこと、恐れていた「転移」を聞いたときのショック、自分の母親の「死」を意識するようになったこと、大切な母親への思いなど私はたくさんのことを子ども達に伝えました。伝えながら涙が止まらなくなっている私がいました。
 休みをとる前日の帰りの会で私は「明日、先生は休むけれど、担任がいないときこそ、しっかりと自分たちで頑張りなさい!」と言いました。すると、一人の女の子が「先生、ちょっと待ってください!」と手に何かをもって歩み寄ってきました。そして、「先生、これ、みんなで先生のお母さんの手術が成功するように書いたメッセージです。先生のお母さんに渡してください。」と言って、一人一人の手書きのメッセージカードがきれいに貼られた色画用紙2冊を私にくれたのでした。私は、嬉しくて嬉しくて涙が止まりませんでした。会ったこともない私の母への温かいメッセージとその行為に胸を打たれました。
 私は、それを手に病院に行きました。母は、2冊の色画用紙を見て、「もう読む前から涙が出てきた。手術が終わってから読ませてもらうから。本当にありがとう」。母は、目に涙をいっぱいにため「手術、頑張るから」と手術室に入っていきました。母の手術は成功しました。
 次の日、学校に行き、無事に手術が成功したことを伝えると、子ども達は嬉しそうに微笑み、大きな拍手をしてくれました。ある生徒が「先生、退院はいつになりそうですか?」と聞くので、「うまくいけば2週間後ぐらいだろうと病院の先生はおっしゃったよ。」と答えました。数日後の生活ノートには、「先生、私たちのクラスの新たな目標が決まりました。金賞をとって、先生のお母さんに春日市の合唱祭にきてもらい、私たちの歌をプレゼントすることです」とたくさんの子ども達が書いてきてくれたのです。教室の後ろの黒板にも「先生のお母さんに合唱祭に来てもらう!絶対金賞!」を書かれていました。(春日市では、各校の金賞クラスだけが集まる合唱祭というものが毎年行われていました)正直、私のクラスは、2学年7クラスの中でも上手な方ではなかったのですが、それからの子ども達の練習の姿は真剣そのものでした。私もできることはしてあげたいと思い、国語の先生から教科書に載っていた「春に」について教えてもらい、詩の勉強をしました。インターネットでどう歌えばいいのか調べたり、全パートに入って歌えるよう四六時中「春に」を聴いて全パートを覚えたりもしました。また、いろいろな先生に合唱を聴いてもらい、アドバイスをしていただきました。合唱は、日に日によくなっていきました。・・・([ep2]に続く)