学校日記

【3月23日】校章に込められた願い

公開日
2021/03/23
更新日
2021/03/23

Kのつぶやき

 本日が令和2年度最後の授業となります。そして、明日が「修了式」。素晴らしい締めくくりとなるようにしていきたいと思います。

 さて、突然ですが、写真(上)は御陵中学校の「校章」です。きっと、学校で作成する資料等にも載せていることが多いので、皆さんも見かけたことはあるとは思うのですが・・・。しかし、この校章の意味を知っている人はほとんどいないのではないかと思います。
 これは・・・
 『生徒一人一人が手をとりあい、若鳩(わかばと)のごとく希望をもって、未来へ羽ばたく姿』を表しているのです。
◆中央の三角形の「中」は、近くの古墳から出土した「三角縁神獣鏡」からとったもの
◆鳥は未来へ羽ばたく中学生の姿を表す
◆上下の手は、手と手をとりあう生徒の心の姿を表す

 ちなみに、平成22年の大野城市の広報に「三角縁神獣鏡」のことが載っています。

 御陵中学校〔中一丁目〕の建設時に古墳の発掘調査が行われました。御陵古墳群と呼ばれています。この御陵古墳群の南側にあった赤坂山(現在の中二丁目周辺)から享和2年(1802年)に鏡が出土しました。これが大野城心のふるさと館にある三角縁神獣鏡です。
 三角縁神獣鏡は、鏡縁の断面が三角形で、内部に神仙や霊獣などの文様を浮き彫り風に表現した銅鏡です。卑弥呼が中国から鏡をもらった景初3年(239年)の銘文を持つものもあることから「卑弥呼の鏡」とも言われ、邪馬台国論争に大きな影響を与えています。
 赤坂山の鏡は、子どもたちが山で遊んでいる時に発見されました。発見された鏡は16片に打ち割って子どもたちが持っていましたが、当時の村長がこれを見つけて保管していました。この鏡は、幕末に太宰府へ落ち延びていた三条実美という公卿(くぎょう)も見られ、次のような歌を残しています。
 ふる鏡 影はくもれと 古への あとはさやかに 見へて残れり
鏡はその後、人手を経て、現在は八片が残るのみです。

 御陵中学校は昭和58年に開校しました。山を切り崩して学校がつくられたのですが、その山の発掘作業をしたところ、校門にあるボード(写真下)にも書かれているように、1400年〜1700年前の多数の古墳や木棺墓などが見つかったのです。さらに近くの古墳から「三角縁神獣鏡」も見つかったと・・・。
 そう考えると、市内では比較的新しい学校ではありますが、とても貴重な歴史あるところに建っているのです。
 
 これから、校章に込められた願いのように、第39代生徒会の子ども達を中心に全校生徒が手をとりあい、希望を持って未来へ羽ばたいていけるよう、教職員一丸となってさらに頑張っていきたいと思います。

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