【4月15日】生かされている
- 公開日
- 2021/04/15
- 更新日
- 2021/04/15
つぶやき
西日本新聞には、昨日熊本県庁で行われた熊本地震の追悼式の記事が載っていました。式の中で、造園業をされている冨岡謙蔵さんという方が、遺族代表の言葉を述べられました。(以下、記事を抜粋します)
「父は農業を営む傍ら、孫たちの世話を楽しんだり、積極的に地域の行事に参加したりと、充実した日々を過ごしていました」
2016年4月16日未明、1階に寝ていた冨岡さんは激震で目が覚め、とっさに当時小学生だった息子たちに覆いかぶさった。
「崩れ落ちた天井と床の間にできたわずか1メートルほどの隙間のおかげで、奇跡的に無傷で、九死に一生を得ました」
妻と母も無事だったが、1階の別室で寝ていた父、王将さんがいない。「おやじ!おやじ!」。何度も呼びかけたが返事はなかった。明け方になって王将さんは救出されたが、既に生き絶えていた。倒壊した家を見ると、玄関先の松とカシの木に寄りかかっていた。
「1階が完全につぶれなかったのは、父が丹精込めて育てた2本の木が支えとなってくれたからです。私たち家族は『父が命を守ってくれた』と思っています」
救われた命を無駄にしない・・・。数ヶ月後には仕事を再開。2018年7月に基の場所に自宅を建て直した。前の住宅を建てた50年以上前、王将さんが「家の前には木を植えるもんだ」と苗から育てた“おやじの木”は、今も同じ場所で家族を見守る。
父の代からの得意先で庭の剪定(せんてい)をしていると、最近は「お父さんに似てきたね」と言われることも。父に恥じない仕事をしようと気が引き締まるという。追悼式後、冨岡さんは「家族を守るために前に進んでいく姿を、父には見守ってほしい」と穏やかな表情で語った。
昨日もひとりごとに熊本地震のことを載せました。関連死も含めて熊本・大分両県で276名の方がお亡くなりになりました。当たり前のことですが、そのお一人お一人に家族があり、様々なドラマがあったのだということがこの記事からもわかります。そして、やはり私たちは「生かされている」のだということがわかります。授かった命、支えられた命、支えてもらっている命を大切にしなければならないと思うのです。命を大切にするということは、記事にもあるように、「志」をもってたくましく前を向いて生きていくことだと私は思います。冨岡さんも、亡くなられたお父様に恥じないような生き方をしたいと言ってあります。苦しいこと、たくさんあります。つらいこと、たくさんあります。失敗すること、たくさんあります。しかし、それらがあるからこそ、成長し、幸せの本当の意味を知ることができるのだと思います。自分を大切に、人を大切に・・・。誰かのために、社会のために、世界のために、支え合い・助け合いこれからも頑張っていかなければと思います。
そうそう・・・今朝校門で、生徒会役員の子たちとあいさつ運動をしていました。1年生の子ども達が、きちんと立ち止まって「おはようございます!」と元気に挨拶をしてくれました。生徒会役員の子と私は思わず目を合わせ、「1年生、入学したばかりなのに、もう立ち止まって挨拶がきちんとできるね!凄いね!」と感心したのでした。1年生だけでなく、2、3年生の子達も進級し、様々な場面で今まで以上に頑張ろうとしている様子がうかがえます。そんな子ども達の前向きな姿に、私は元気や勇気をもらい、また頑張ろうと思えるのです。子ども達に“感謝”です。ありがとう!