【4月16日】親の愛情
- 公開日
- 2021/04/16
- 更新日
- 2021/04/16
Kのつぶやき
各地で、新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。福岡でも昨日は109名の新規感染が確認されたことが報道されていました。連日、変異株のことがマスコミでも伝えられ、非常に今後の感染拡大が危惧される状況となっています。学校では、これからも感染対策をとりながらの教育活動の推進となりますが、ご家庭と連携しながら進めてまいります。
昨年度は多くの行事が「中止」となりましたが、本年度は内容・方法を工夫しながらできるだけ実施の方向です。しかしながら、感染状況によっては、突然の「延期」や「中止」もあるのではないかと思います。どうぞ、今後ともご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
さて、今日も西日本新聞に現在5歳で熊本地震の前震直後に生まれ、本震のときには、母親に抱かれ、入院していた病院の外に避難した長迫沙和ちゃんのご家族の記事が載っていましたので、抜粋します。
前震の時、母梨沙さんは車いすに乗り、産婦人科の廊下を分娩室に向かっていた。やまない余震。夫の康利さんが何度も“2人”を守ろうと覆いかぶさった。担当医が一時エレベーターに閉じ込められるアクシデントもあった。2016年4月15日午前1時半、困苦の中で女の子が誕生した。「かわいい」。初めて見るわが子が、それまでの張り詰めた気持ちを解きほぐしてくれた。だが、24時間後、さらに大きな本震が親子を襲う。院内は停電し、梨沙さん新生児室にいた沙和ちゃんを抱きかかえ、スマートフォンの光を頼りに駐車場へ逃れた。必死に階段を駆け下りたことだけを覚えている。「外は寒くて真っ暗。沙和を守ることに必死だった」。その後、6日間入院。授乳室にマットを敷いて過ごした。1人のスペースは1畳ほど。毎回の食事は少しの水とおにぎり1個。他の母親たちと励まし合った。退院して驚いた。道路や地面が波打っている。自宅の中も家具が倒れ、めちゃくちゃだ。「大変なことになった」。夫婦の心を支えたのは新しい家族の存在だった。
あれから5年。熊本の街は着実に復興を遂げている。熊本城の天守閣は美しい姿を取り戻した。住む街を見渡せば寸断された道路は復旧し、家々の再建が進んでいる。その中で、沙和ちゃんもすくすくと育った。家では大きな声で歌やダンスを披露する。将来の夢は「お花屋さん」。家族の元気の源だ。妹佳和ちゃんも生まれ、一緒に遊んであげるなど、お姉ちゃんの自覚も芽生えてきた。
「沙和ちゃんはね、地震の時に生まれたんだよ」と話す娘は、最近、熊本地震のことを少しずつ理解できるようになってきた。康利さんと梨沙さんは誕生日の前にはしゃぐ姿を見て、5年前を思い出す。2人は、もう少し大きくなったら娘に伝えたいと考えている。地震で大変だったこと。たくさんの人に支えられ生まれ、たくさんの人に愛されて育ってきたこと。そして、「誰かを支えられる大人になってほしい」という両親の思いを。
文字ではわかならい「恐怖」や「不安」、「苦悩」がたくさんあったのではないかと思います。その中で、かけがえのない「命」が誕生し、多くの人に支えられながら元気に生きている。このような大変な出来事を経験しているからこそ、たくさんの「感謝」ができるし、「命」の大切さや尊さを深く感じることができるのだと思います。命の誕生の奇跡、そして生きていることの奇跡を私たちは決して忘れてはいけないのだと思います。
ご両親が沙和ちゃんに伝えたいこと「たくさんの人に支えられ生まれ、たくさんの人に愛されて育ってきたこと」そして、「誰かを支えられる大人になってほしい」という言葉が、私の胸にとても刺さりました。ふと、亡くなった私の両親のことを思い出しました。わがままばかり言っていた私、心配ばかりかけていた私を、どんなときも大きな愛で包んでくれた両親。だからこそ、今の私がある。曲がったことが嫌いで、お世話になった人には絶対に恩を返さなければという一本気な父、いつも優しくあたたかくどんなことがあろうともすべての人への「笑顔と感謝」を忘れなかった母・・・私もまだまだ頑張ります!