学校日記

【5月31日】学び続ける

公開日
2021/05/31
更新日
2021/05/31

Kのつぶやき

 週末は天気に恵まれました。そして、今日はもちろんのこと明日も天気がよさそうです。天気予報で「今日は昨日より最高気温も高く、晴れの天気となります。そして、明日も五月晴れになります!」と言っていました。明日は、6月になるのだけれど、それでも「五月晴れなの?」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、もともと「五月晴れ」とは「6月(陰暦の5月)の梅雨時に見られる晴れ間のこと」だそうです。ですから、明日は「五月晴れ」で正しいのだそうです。
 
 さて、本日5月31日付の西日本新聞『デスク日記』の欄からです。
 「こんな勉強、人生の役に立たんやろ」。子どもの頃、苦手な授業を受けるたびにこう毒づいてきた。特に印象に残っているのは高校の音楽の授業。歌曲「野ばら」を原曲で歌うテストがあった。「童は見たり」で歌いだす邦訳が有名だが、原曲の歌詞は習ったこともないドイツ語。テストは暗唱と告げられ、ため息が出た。先生の手本を聴いて、さらに頭を抱えた。巻き舌で歌う箇所がいくつもある。思春期の身には恥ずかしくてたまらない。意味も知らないまま、カタカナに直した歌詞を丸暗記。巻き舌はできないふりをして乗り切った。
 “再テスト”は思わぬ形で巡ってきた。大学時代に旅したカンボジアの世界文化遺産アンコールワットで、ドイツ人カップルと知り合い、雑談の流れで「野ばら」を披露することに。巻き舌を交えて歌いきると笑顔と拍手をもらった。無駄に思えた勉強が役立つこともあるのだ。

 子どもの頃、同じような感情を持たれた方も多いのではないでしょうか?私もその一人です。「こんな勉強、何の役に立つのか?」「勉強なんてなくなればいいのに・・・」なんてことを思ったこともあります。しかし、今となってはむしろ「もっと勉強しておけばよかった」とか、「もっともっと学ばなければ・・・」と思います。
 「勉強」って、もちろん習ったことを直接的に使うこともありますが、間接的であったり、自分の可能性や適性を知る上で必要だったり、自分自身の人としての幅を広げるためであったりすると思うのです。もちろん、将来の道をひらいていく上でも勉強する前から必要ないではなく、まずは取り組んでみることが大切なのだと思います。
 ちなみに、「勉強」と「学び」を混在して使っていますが、ある資料には次のように載っています。
◆『勉強』→「与えられたものをこなす作業」「やらなければいけないもの」「答えがあるもの」「ゴールがあって、有効なやり方を見つけること」・・・
◆『学び』→「夢中になり、がむしゃらに没頭すること」「本質を知ること」「分からないことを分かりたいと思って取り組むこと」・・・

 厳密な違いはともかく、要するに何事も「主体的な学び」にしていくことが、より身につき、自分自身を向上させていくのだと思います。
 昨年7月8日のひとりごと「学ぶとは?」には、池上彰さんの本から「学ぶこと=盗まれない財産」の話を載せています。「学ぶことは生きること」、そんな気持ちを常にもって、主体的に学び続けていくことができればと私は思います。
(※写真は、先週金曜日の1年生国語の授業中の様子です)