学校日記

【6月3日】あれから30年

公開日
2021/06/03
更新日
2021/06/03

Kのつぶやき

 6月3日は、長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流からちょうど30年が経ちます。私は、黒い煙の塊が迫ってくる中、必死で逃げる消防団員の方や消防車の映像を何度もテレビのニュースで見ました。報道関係者、消防団員、警察官、タクシー運転手などあわせて43人の方が、300度を超える火砕流によって犠牲となりました。当時、普賢岳を正面に見据えるポイントには多くの報道陣が連日カメラを構えていました(この場所は「定点」と呼ばれています。そして、この場所は今年、掘り出された車両3台などが保存展示され、「災害遺構」として整備されました)。
 以下、西日本新聞の記事の一部です。

『当時、取材現場の定点を含む一帯は「避難勧告地域」。噴火活動の活発化に伴い、地元島原市が報道陣に出した退去要請に、「強制力がない」と多くが従わなかった。その時、一部報道機関が避難で留守になった民家の電源や電話を無断で使用。消防団が監視のため避難勧告地域に戻ったところ、火砕流が押し寄せた。「マスコミさえいなければ・・・」。消防団が巻き込まれたことの地元の怒り。−(後略)−』

 報道関係者16人、地元の消防団員12人、警察官2人、マスコミがチャーターしたタクシー運転手4人などが犠牲となったのです。「マスコミさえいなければ・・・」と記事にもあるように、災害時に報道機関が果たすべき役割、責任とは何かを問われ考えるきっかけとなりました。西日本新聞にはこうも書いてあります。
『自然災害が発生すれば、報道記者は現場へ向かう。そこで何が起きているのかを把握するためだ。五感を駆使して暮らしへの影響、発生のメカニズム、今後の見通し・・・多くの人に知らせなければならないと考える情報を集め、記事や写真、動画を届ける』

 報道関係の方々の「使命感や責任感」、そして「報道のあり方」等について、非常に考えさせられることであり、他人事のように簡単に論じることのできない問題だと思います。しかし言えることは、様々な経験や失敗を「教訓」にしながら、安易に人のせいにすることなく、一人一人が真剣に考えていくことが大切だと私は思います。

 犠牲となられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。