【6月7日】高みを目指す
- 公開日
- 2021/06/07
- 更新日
- 2021/06/10
Kのつぶやき
6月7日付、西日本新聞「ひと」の欄に、陸上選手の山縣亮太さんについて載っていました。
東京五輪が迫る中、自身で初めて「10秒の壁」を破り、日本最速スプリンターとなった。6日に鳥取市で行われた布勢スプリントで9秒95の日本新記録をマークし「すごくうれしいし、ほっとしている。まだふわふわしている」と満面の笑みで喜びをかみしめた。
小学校4年生の時に、広島市で行われた大会の100メートルで優勝したのが競技にのめり込むきっかけだった。元五輪代表の為末大氏も生んだ「広島ジュニアオリンピアクラブ(現オリンピアプラス)」で練習に励んだ。勉強も怠らず、広島市の進学校、修道中学・高校を経て慶応大へ進学。文武両道を実践してきた。
「100メートルのことを誰よりも考えている自信がある」と胸を張るように、頭の中は陸上のことでいっぱいだ。練習では走りの映像を撮影して入念にフォームを確認する。過去にはツイッターでその動画を公開して幅広く意見を募ったことも。ライバルの桐生祥秀選手らの動きも見てヒントがないか探る。小さい頃の夢はプロ野球選手だった。広島カープの大ファンで、緒方孝市・前監督に憧れた。25年ぶりのリーグ優勝を果たした2016年には「人生の一大事。自分も何かやってやりたい」と大きな刺激を受けた。
一人暮らし。練習内容や疲労の程度に合わせて料理の献立を考えるのが楽しいという。釣りが大好きで、読書も趣味。将棋の羽生義治さんの著書も愛読しており「偉人伝が好き。そこから得るものがないかな」と話す28歳。広島県出身。
ついに山縣選手が、10秒の壁を破ったのです。しかも、日本新記録で・・・。私は密かに山縣選手のファンでしたので、大変うれしく思いました。
ここに至るまでの2年間は、病気や怪我に大変苦しみました。2019年は腰を痛め、同年6月に肺気胸を発症し、日本選手権や秋の世界陸上に出られませんでした。2019年11月には右足首靱帯も断裂しました。冬にはトータル約5か月にも及ぶアメリカでの合宿を敢行します。そんな中、2020年も右膝蓋腱炎(通称:ジャンパー膝)を抱え、同年10月の日本選手権でもスタートラインに立つことはできなかったのです。「もう続けられないかも」と落ち込むこともあったそうです。それでも、「怪我や不調もあるけど、とにかく原因を徹底的に考え尽くすところがまず一つ」と、体を思う存分使えないかわりに頭を動かしたそうです。
コーチをつけずに常に走りを磨いてきた山縣選手は、今年2月にコーチをつけ、改めて「走ること」と向き合いました。けがをしないためのトレーニング、そして、パワーより技術にこだわって練習を続けてきたのです。「ただ、自分だけではうまくいかないので、チームや周りのサポートがあって初めてそれができる」と周囲への感謝も忘れませんでした。
「100メートルのことを誰よりも考えている自信がある」という言葉に象徴されるように、常に考え研究し、誰にも負けない努力で高みを目指すその姿勢は本当に凄いとしか言いようがないくらいです。その結果が、9秒95の日本新記録に繋がっているのです。
最後に、昨年1月に発売された雑誌『Number』に載っていた山縣選手の言葉です・・・
『まずは90点でもファイナリストになれる力をつけること。その上で、たとえ不可能であったとしても100点を目指し続ける』