【9月24日】空を眺めると・・・
- 公開日
- 2021/09/24
- 更新日
- 2021/09/24
Kのつぶやき
日本教育新聞の「不易流行」というコラムに「空の日」のことが載っていました。「空の日」とは、もともと1940年に「航空の日」として制定されたものです。戦争中中断されていたましたが、1953年に復活し、運輸省(現在の国土交通省)航空局が1992年に「空の日」と改称したそうです。さらに「航空の日」の由来を調べると、1911年の9月20日、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が、滞空時間1時間の東京上空一周飛行に成功したことにちなんでいるとのこと。日本で最初の飛行に成功したのは、1910年12月19日に東京・代々木錬兵場で徳川大尉が行った飛行実験だったのですが、12月では気候的に「航空の日」の行事に適さないため、東京上空一周飛行が行われた9月20日を「航空の日」と決めたそうです。コラムには次のようなことが書かれていました。
今日は「空の日」。航空に対する理解と関心を高めるために制定されたが、「空の日」という言葉からは、航空ではなく空そのものが思い浮かぶ。空をじっくりと見ようと促す日に思えてくる。大人になってから空を見上げることが少なくなった。少年の頃は、空に見入ることがしばしばあった。石川啄木の歌「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」のように傷心を抱いて見つめた。なぜ、空を見上げたか。今はなぜ、見ることが少なくなったか。これらの問いを「空の日」に考えるのも一興。顔を上げる行動は、人の気持ちを前向きにする効果があるといわれる。顔を上げ、「これからの時代に求められる力」を子どもたちに身につけてもらおうと、私たちは今、奮闘中である。課題を解決し、改善を積み上げようと忙しく働く私たちは、顔を上げても空を見ようとはしない。単に余裕がないためか。課題解決や課題発見を重視する世相に染まりすぎているためではないか、小欄(しょうらん)は疑う。課題にばかり目を向け、良さを見ようとしない。未来ばかりに気を取られ、現在を味わうことを忘れている。現在が未来の準備期間となり、空(から)になっている。空を見ていると心が吸い取られて空(から)になる。心が空になっても、体は今ここを生きようと働き続けている。この体の生命力が希望の源。
文中の石川啄木の歌は、大人になった啄木が15歳のころを振り返ってつくったものです。思春期まっただ中の様々なことに反抗心もある啄木が、教室を抜け出し、不来方のお城(岩手県の盛岡城)に行き、寝っ転がって空を眺める。すると、モヤモヤとした気持ちや授業をさぼった後ろめたさをも、この広大な空の景色が吸ってくれたようなそんなほろ苦い思い出を歌ったもののようです。
先日、「中秋の名月」のことをひとりごとに載せました。啄木の歌ではないですが、のんびりと空を眺めるような時間も改めて大切だなと思ったところでした。それと同時に、「自ら課題を見つけ、考え、解決へ向けて他と協働し、粘り強くやり抜く」ことはもちろん重要ですが、「良さ」をしっかりと見つけ、伸ばし、「未来」そして「持続可能な社会」をつくっていくための「今」を大切にすることを決して忘れてはいけないと思います。
(※写真は、「今」を精一杯頑張る子どもたちの中間考査中の様子です)