【9月22日】勧善懲悪
- 公開日
- 2021/09/22
- 更新日
- 2021/09/24
Kのつぶやき
西日本新聞の「春秋」に書かれたある言葉に私は、自分の幼少期を思い出しました。その記事の一部です。
昭和の子どもたちは、ことし50周年を迎えた特撮ドラマ「仮面ライダー」など、悪と戦う変身ヒーローに夢中になった。こぞって変身ポーズをまねしたものだ。善を勧め悪を懲らしめる「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」は、子ども向けの漫画やアニメ、時代劇によくある筋立て。番組の終盤、ライダーキックや水戸黄門の印籠が出て憎らしい敵をやっつける場面は、見ていてスカッとする。江戸時代に「南総里見八犬伝」で人気を博した曲亭馬琴が「物語は勧善懲悪でいい」と言い切ったように、昔から大衆向け作品の“王道”だった・・・(後略)・・・
春秋の本題は、「アフガニスタン」のことだったのですが、私は幼少期に自分が熱狂的に見ていた「仮面ライダー」というキーワードに妙に反応してしまいました。今から50年前の4月にテレビ放送され始めた仮面ライダーに、当時6歳ぐらいだった私はたいへん憧れました。幼かった私は憧れるあまり、将来は絶対に「仮面ライダー」に自分がなりたいと思っていました。あるとき、テレビで「仮面ライダー変身ベルト」のCMが流れてきました。私と同じような少年がその「光る!回る!変身ベルト」をして、変身ポーズをすると、なんと仮面ライダーになるのです。あのベルトさえあれば僕も仮面ライダーになることができる・・・そう思い、両親に買ってもらうまでお願いし続けました。そして、あるときやっと私は買ってもらうことができました。「これを身につけて変身ポーズをすれば、僕も変身できる・・・」、そう信じていた私は胸が高鳴りました。しかし何度、ベルトの風車が回り光ったとしても、当然ながら私は仮面ライダーになることはできません。私は、そのとき思いました。「そっか、僕はまだあのCMの子より小さいから変身できないんだ。それに、もっと訓練しないとダメなんだ」などと自分を納得させていました。そんな無邪気だった私は、日夜仮面ライダーになる訓練?をしながら、友だちと仮面ライダーごっこを楽しんでいました・・・
今思えば、仮面ライダーのような特撮ドラマなどは、すごく単純に「善」と「悪」がいて、最後は必ず「善」が勝つというものでした。当時の私はそれに熱狂し、夢中になっていました。今でも映画などで、単純に「勧善懲悪」のようなものもあります。それを見るとスカッとすることもあります。しかし現実は、「善」と「悪」を単純に線引きできないようなこともたくさんあります。「春秋」にも名前が登場する明治の文学者、坪内逍遙さんという方は「小説の神髄は物事を単純に善と悪の二つに単純化するのではなく、多様な人の心を描くことにある」と曲亭馬琴さんを批判されました。
「多様性」「共生」という言葉をいろいろなところで聞かれるかと思います。違いを認め、互いの個性を大切にし、共に助け合って生きていくという寛容な心を持ちながら、「大切なことは何か?」「大事にしなければならないことは何なのか?」を冷静に考えていくことが、今こそ重要なのだと思います。