学校日記

【10月21日】移動販売

公開日
2021/10/21
更新日
2021/10/21

Kのつぶやき

 明日午前中が大野城まどかぴあでの文化発表会となるため、午後からは一部の生徒と先生たちで準備およびリハーサルとなります。合唱コンクールはできませんでしたが、少しでも心に残る文化発表会になればと思います。

 さて今日は、私の母の命日です。母が亡くなってから、13年の月日が経ちます。昨年、母の13回忌と父の3回忌の法要を一緒にさせていただきました。なんだか、時の流れの早さを本当に感じる毎日です。昨年のこの時期に、ひとりごとで「私の母」というタイトルで、母の病気のこと、子どもたちや合唱コンクールとの関わりなどについて、5回に渡ってお伝えさせていただきました(令和2年10月2日〜8日に載せています)。
 先日、移動販売車のことがテレビで取り上げられていました。そのときふと、はるか50年ほど前のことを思い出しました。以下は、昨年学校便りに「働くこと」として、両親の仕事のことについて載せた内容(抜粋)です。

 25年ほど前、私が道徳の研究授業をすることになったときのことです。主題は、「働くことの尊さ、意義について」です。道徳の副読本の中にあったその内容の文章を何度も読み返し、どのように授業を組み立てようか考え悩んでいました。ある夜、どんなに考えても、その資料を使うことが私の中でしっくりこなかったので、「よし、こうなったら自分で道徳の資料を作ればいい。中学生の作文として、資料を作ってみよう」と思って道徳資料を自作したのでした。
 私の実家は、両親2人で経営する田舎にある食料品、日用品など販売する小さなお店でした。私が就職したあと、様々な事情でお店をたたむことになったのですが…。私は、小さいときから寝る間を惜しんで働く両親の姿を間近で見てきました。一日休むと近所の方が困るというので、外出しても夕方にはまた店を開ける。盆も正月も開けていましたから基本、年中無休という状態でした。私は小さいとき、自分が遊びたい、テレビを観たいときに、家の手伝いをしなければならないことが嫌で、店の子に生まれたことを不幸だと思うこともありました。
 盆や正月には、鉢盛(料理)も請け負っていたので、そんなとき両親は、夜10時過ぎに寝て夜中1時には起きて、仕込みを始めるという状態でした。ちなみに、私の盆と正月の主な仕事は、けん(“つま”ともいう)切りと配達でした。“けん”とは、刺身の下に敷いてある大根の千切りのことです。手動の機械でするのですが、冬のすきま風吹く倉庫で、一人冷たい大根の千切りをすることはとてもつらいものでした。2時間以上、ただひたすらに千切りするのです。千切りしたものを水にさらしたあと父のもとへ。それが終わると、父親の友人の運転する車に乗り、配達にいくことが盆と正月の私の仕事でした。
 両親は、昼ご飯などは、店の裏でいつも立って食べていました。時には、お客さんから、理不尽な文句を言われ、ひたすら謝る母の姿を見て、腹立たしいとともに何でそんなイヤな思いをしてまで続けるのだろうと思ったこともあります。しかし、お客様への感謝を常に忘れてはいけないという信念と、仕事に対する誇りを持っていることも聞かされていました。鉢盛の配達先で「お宅の鉢盛は、安くておいしくて量も多いから毎年頼んでいるの」と褒めてもらうこともあり、私自身が嬉しい気持ちになったこともありました。
 そんな私の実体験や感じたことを通して、道徳の資料を作成したのです。その道徳の授業をする前、私は母親に電話をしました。「商売をしていて、うれしかったことは?」「きついと思ったことは?」「工夫したことは?」などを質問しました。最後に、「つらいこととかもたくさんあったと思うけど、なんで続けられたの?」と聞くと、母はこう答えたのでした。「そりゃあ、あんた達がいたから。あんた達(子ども達)のために、頑張らないといかんと思っとったとよ。」
 私は、思わずじーんときて、両親への感謝の気持ちとともに、目頭が熱くなったのを覚えています…

 そんな母が私の幼少期、お年寄りの方や来店が困難な方に、年末から正月へ向けた食料品や日用品などを届けるために、車での“移動販売”をすると言い出しました。私は、母から手伝うように言われ、軽トラックに品物を積んで、年末に数日間母とともに地域を回りました。もちろん顔見知りの方が多く、「ありがたいねぇ」とか、「ぼっちゃんも手伝いね?偉いねぇ」などと言われながら、続けたのです。私にとってはある意味貴重な経験でしたし、今となってはとてもいい思い出です。楽しかったり、声をかけてもらい子どもなりの“やりがい”もあったりしました。テレビの移動販売車の映像を見ながら、そのときのことをとても懐かしく思い出したのでした。

 どんなときも、「笑顔」と「感謝」を忘れず、人のために尽くしてきた母。教師になりたかったのに家庭の事情でその夢が叶わなかった母。私自身が改めて頑張ることを伝えに、今日は夕方から母の眠る納骨堂へ行ってきます…。