学校日記

【11月2日】たわいもない思い出

公開日
2021/11/02
更新日
2021/11/02

Kのつぶやき

 昨日のひとりごとに載せたように、今日は父の命日です。ちょうど亡くなってから3年が経ちます。急に思い出したのですが、私が高校生になり、将来は「教師」か「歌手」を目指していた頃、教師というワードに父は反応していたようです。父は、私には直接言わなかったのですが、「教師の仕事はたいへんだから、別の仕事にした方がいい」と母には言っていたそうです。もちろん、教師になることが夢だった母は、「子どもが夢をもって言ってるのに、絶対にそんなこと言ったらいかんよ!」と父に話したとのことでした。歌手にはとてもなれるわけがないと思ってそのことは言わなかったのかもしれませんが、とにかく息子を心配してくれてのことだとは思います…。それを私が教師になったあと生前の母から聞かされました。今思えば、なんだかおかしいですね(^_^) でも、子どものことを心配する親ってそんなもんだと思います。これも親の愛情ですね!

 さて、私は時々「今日は何の日?」と調べることがあります。何気なく父の命日である今日11月2日が何の日か調べてみましたら、「習字の日」とありました。これは、11月2日「いいもじ」にちなみ、日本習字教育財団が2013年に「習字の日」と定めたそうです。自分の手で文字を書き、習字・書道の伝統文化を継承することを目的としているとのこと。
 実は、私も小学校のときにこの日本習字の教室に数年間通っていました。しかし、普段書く実際の文字はなかなか上手になりませんでした。もう少し真面目にやっておけばよかったと大人になってから後悔しました。特に、字の上手な同僚の先生の板書や手書きの学級通信などを見ると、素晴らしいなぁと感心していました。私も当時、たとえ下手でももう少し丁寧に書けばいいものを、時間もなく(という言い訳で)子どもたちや保護者の皆様に、よくあのような手書きの通信を配付していたなと自分でもあきれてしまうほどです。
 その後、だんだんとワープロやパソコンで文書を作成するようになり、ますます手書きの機会が減っていきました。パソコンばかり使っていると、ふと簡単なはずの「漢字」が書けなくなります。パソコンでは勝手に文字を変換してくれるので、忘れていくのです。やはり時々は書くことも大事だなと思います。ですから私は、漢字を忘れないためにもきれいな字を書けるようになるためにも、自前の筆ペンで、時々宛名や文書などをできるだけ丁寧に書くようにしています。
 「書は心画なり」とか「書は人なり」という言葉も時々聞きますので、丁寧な字を書くということはやはり大事なのだと思います。
 ちなみに私の母は、習字を習ってもいなかったのに、きれいな字を書いていました。仕事がらお客様が購入されるお歳暮やお中元の品物の「のし」に書くことも頻繁にあったせいかもしれません。父は、その母の書いた字を真似て、新聞紙などに時々練習していました。「まぁ、俺もなかなかうまいもんやね」と、子どもたちにおどけてみせる父がいました。
 そんな光景を本当に懐かしく思い出している私でした・・・