【11月1日】ありがとね!
- 公開日
- 2021/11/01
- 更新日
- 2021/11/01
Kのつぶやき
11月に入りました。今年も残り2ヶ月です。そして、私にとっては明日が父親が亡くなってからちょうど3年となります。先日、母親の命日のときに、昨年「母の十三回忌」と「父の三回忌」の法要を一緒にしたことをお伝えしました。
父は、亡くなる5年ほど前に、喉の手術をしました。手術をすることは、父からの突然の電話で知ることになりました。
「喉に異常があるみたいで、手術せんと死ぬって言われた」
私は、突然の話に意味がわかりませんでした。その後、父と共に病院を訪れ、担当の先生から話を聞いて理解しました。難しい病名で覚えられなかったのですが、喉の弁のような部分の開閉に異常があるとのことでした。投薬等で治ることもあるとは言われましたが、とりあえず、気道をしっかりと確保しておかないと、場合によっては「窒息死」することもあるというものでした。そこで、急きょ喉に穴を開け、プラスチックのようなパイプを通し、強制的に気道を確保するというものでした。もちろん、弁のような部分が正常に動くようになれば、喉の穴はふさぐことができると言われました。手術は、さほど難しいものではなかったのですが、喉に常にパイプを通しての生活になりました。毎日のパイプの洗浄、付け替え、また、時には炎症を起こしたり、痛みが出たり、また食べることが今までのようにはいかなくなりました。何より、空気が喉から抜けていくので、声が思うように出せなくなりました。電話等では、父が何と言っているかわからない状態でした。父のかすれた声では相手に伝わらず、何度も聞き直され、言い直す毎日でした。父は伝わらないもどかしさ、今までのようにいかない生活、そして脚も弱くなり歩くことも難しくなってきました。治療を続けましたが、喉の状態は変わらず、喉に穴を開けたまま過ごすしかないとのことでした。病気がいっこうに好転せず、痛みとともに不自由な生活のストレスからか、病院の先生や人の悪口ばかりを言う日々も続きました。時には、私自身も、父の不平・不満の話ばかりを聞くことがイヤになり、父を叱りつけてしまうこともありました(このことは、とても後悔しています…)。
それでも、いつも強気で頑固で元気だった父が、立つことすらままならなくなっていく姿を見ながら心が痛みました。倒れると、一人で起き上がることもできなくなっていきました。少しでも痛みが改善されるようにと、いくつもの病院を回ることもありましたが、好転することはありませんでした。その状況といかに上手につきあっていくしかありませんでした。
母が亡くなって10年が過ぎた2018年10月27日に、10年の区切りとして母の法要をしました。父も椅子に座り、手を合わせていました。
11月1日夜11時前に私が帰宅したときには、父は部屋で寝ていました。そして、次の日の朝、まさかのこととなったのです。息を吹き返してくれ!と叫び、願いを込めて父の心臓マッサージをしながら気が動転している私がいました。その後救急隊の方がこられ、蘇生のための処置をし、病院に搬送される。病院の廊下でひたすら待つ…。しかし、無情にも父の心臓が再び動き出すことはありませんでした。その瞬間、私は「喪主」として、悲しむ暇もなく、通夜・葬儀等の準備をしました。通夜に弔問していただいた方への挨拶のときにはじめて涙が溢れて止まらなくなりました。「いつかは…」という気持ちはありましたが、まさかこんなに早く…、それが正直な気持ちでした。
あとで思えば、母が亡くなり10年が経ち、安心したのか…、母が「お父さんも一人で頑張ってきたからもうこっちに来てもいいよ」と言ったのか…。母の命日は「1021」父の命日は10年後の「1102」、なんだかその数字にも不思議なものを私は勝手に感じています。
以前お話ししましたが、一本気で頑固すぎる父は、周りの方にたくさんの迷惑もかけてきました。しかし、「義理人情」に厚く、自分がお世話になった人には、どれだけでも恩返しをしないと気が済まない人でした。「魚をさばく父」「店のことを忙しくしている父」「私と一緒にかぶとむし採りをする父」「大好きな車をぴかぴかに洗車していた父」「晩酌が大好きな父」「私の妹とふざけて大笑いする父」「怒ると怖くて近づけない父」「絶品の高菜の油炒めを作る父」「心配していないふりをして子どもたちのことをものすごく心配していた父」「孫達との温泉旅行をとても喜んでいた父」「涙もろい父」…どれも父そのものでした。
そして、私が、お風呂にも入ることが困難になった父を、お風呂場に連れて行き、体を洗い、頭を洗ってあげると、「気持ちよか−。床屋より上手やんか。ありがとね」と上機嫌になってくれたことが今でも忘れられません。昔は大きく感じていた父の背中がこんなにも小さかったのかと感じ、また、優しい笑顔で「ありがとね」と言う父を見て何ともいえない気持ちで胸が詰まりそうになりました。それと同時に、私はどれだけ父や母に心配をかけ、どれだけ支えてもらい、溢れるほどの愛情を注いでもらってきたのだろうかと感謝の気持ちでいっぱいになったのでした。
子どもが、授かった命を精一杯に使って一生懸命頑張ることが「親孝行」だと思いますが、親の愛情に対する感謝の気持ちをきちんと言葉にして伝えることも、「親孝行」の一つとして本当に大切なことだと思います(私は十分にできませんでしたが…)。明日は、母と共に父が眠る納骨堂に行き、手を合わせ、改めて感謝の気持ちを伝えてきたいと思います。