学校日記

【11月11日】壺

公開日
2021/11/11
更新日
2021/11/11

Kのつぶやき

 今日は数字の「1」が4つ並ぶ日。「第一次世界大戦停戦記念日」「介護の日」「電池の日」「ジェリーの日」「麺の日」「ピーナッツの日」「チーズの日」「サッカーの日」「恋人たちの日」「おりがみの日」「下駄の日」「ポッキー&プリッツの日」「鮭の日」「箸の日」…まだまだたくさんあることに驚きます。それぞれに、様々な経緯やいわれがあるようです。こういう記念日に改めて考えたり感謝をしたりお祝いをしたり…ということだと思います。また、「1111」は、古くから「エンジェルナンバー」として、とても幸運な意味ある数字とされることもありました。そういえば、私が以前担任をした双子の生徒は、今日が誕生日で「私たち、ポッキーの日に生まれたんです!」と笑顔で話してくれていました(誕生日おめでとう!)。
 しかし、御陵中の子どもたちにとっては、今日が何の日であろうと、目の前の「期末考査」のことで頭の中はいっぱいだろうと思います。今日と明日の二日間、子どもたち一人一人が努力したことをすべて発揮できるように願っています。

 さて、「ひろゆき(西村博之)」さんという方をご存じですか?実業家で作家、日本最大級の匿名掲示板「2ちゃんねる」の開設者でもあります。東京プラス株式会社代表取締役、有限会社未来検索ブラジル取締役であり、テレビやラジオをはじめ動画サイト等にも多数出演されています。この方の著書『1%の努力』という本の中に「ある大学での授業のこと」が載っていました。とても興味深く考えさせられる内容でしたので抜粋します。

 「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺(つぼ)を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。そして、砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。「この壺は満杯か?」学生は答えられない。一人の学生が「たぶん違うだろう」と答えた。教授は「そうだ」と笑い、教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。「この壺は満杯になったか?」学生は声をそろえて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。「僕が何をいいたいのかわかるだろうか?」一人の学生が手を挙げた。「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、そのあと二度とないということなんだ」
 君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり…。ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。もし君たちが小さな砂利や砂、つまり、自分のとって重要性の低いものから壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。

 皆さんは、どのように感じられましたか?