学校日記

【1月28日】春はくる…

公開日
2022/01/28
更新日
2022/01/28

Kのつぶやき

 御陵中の正門付近に植えられた梅の木には、たくさんの綺麗な花が咲きほこっています。春はもう間近と教えてくれているようです。
 本日の西日本新聞のコラム「春秋」からです。

 大寒(20日)から立春(来月4日)は一年で最も気温が下がる寒の底。九州では梅もちらほら咲き始めたが、北国は氷点下まで冷え込む日が続く。この冬、日本海側は大雪にも見舞われた。北海道からの便りに「朝から雪はね。水分を含んだ雪が重くて半分も終わらないうちに断念。息子が来てくれて感謝」と。「雪はね」は北海道の方言で雪かきのこと。地域によっては「雪なげ」とも。シャベルで雪をすくって放り投げる姿が目に浮かぶ。調べたら、雪かきは各地に独自の言い方が。秋田は「雪よせ」、山形などは「雪はき」、石川は「雪すかし」。世界遺産の白川郷で知られる岐阜県・飛騨地方は合掌造りの集落が綿帽子をかぶる頃。そこでは片付けを意味する「雪またじ」だとか。呼び名から雪の多さや質の違いがしのばれる。豪雪地帯の新潟は「雪ほり」。背丈ほども積もる雪は、かいたり寄せたりではなく、掘るという感じがぴったりか。<上の雪 さむかろな。つめたい月がさしていて。下の雪 重かろな。何百人ものせていて。>。金子みすゞの詩「積った雪」。<中の雪 さみしかろな。空も地面(じべた)も見えないで。>。詩人はそれぞれのつらさを抱えた雪を思いやる。積もる雪とそれぞれに向き合い、長い冬を過ごす北国の暮らしにも重なる。さむくて、つめたくて、重くて、さみしい季節を乗り越えたら、地面と青空が見える春がまた巡り来る。

 金子みすゞさんの「積(つも)った雪」の詩について様々な方が解説されていました。以下のような内容です。
 みすゞさんの手にかかると、生きてはいない雪さえもまるで友達のようです。人は、雪が降り積もると、人は自分のことだけで精一杯になります。家は壊れないか、食料はあるか…など。そんな中で、上の雪には「さむかろな」、下の雪には「重かろな」と呼びかけて労(ねぎら)っています。何といってもハッとさせられるのが、中の雪に「さみしかろな」と話しかけていること。上の雪や下の雪のつらさには、気づく人も多いでしょうけれど、中の雪の「さみしさ」にはなかなか気づけないものです。だからますます、中の雪は孤独を感じます。中の雪にも温かな言葉をかけているところがさらに素晴らしい。

 「さむかろな」「重かろな」「さみしかろな」と、相手を察する優しい心を大切にしたいものです。そして、梅の花が教えてくれるように、春はきっとくる、必ずくると信じて今日も頑張りたいと思います。
 そうそう、給食事務担当の野田美香先生が、こんなことを教えてくれました。
「1年1組では、飲み終えた牛乳パックは折り方が工夫され、どこのクラスよりも小さくまとめられているんです。それで、私が牛乳担当の子に、『どうやって折るの?』と尋ねていたんです。すると今日のお昼に、1年1組牛乳担当の川村優貴さんが、配膳室にいる私のところに来て、牛乳パックの折り方を『こうやったらできるんですよ』と優しく丁寧に説明してくれたんです。私はその行為に、その姿にとても感動して、心があたたかくなったんです」
 その話を聞いた私まで、心がほっこりしました。素敵な子です。素敵な行為です。優しい行為がどんどんと繋がっていきますように…