【9月15日】教育の力
- 公開日
- 2022/09/15
- 更新日
- 2022/09/15
Kのつぶやき
9月12日付の日本教育新聞に載っていた、ある小学校の校長先生の「管理職の独り言」からです。
文科省が教師の魅力を次世代に引き継ぐことをねらいとして取り組んだ「#教師のバトン(Twitter)」が思わぬ方向に展開し、炎上した。ブラックという言葉が、学校の代名詞に使われるほどだ。働き方改革を早急に進めなければならない。一方、教育の魅力が置き去りにされることには少し抵抗を禁じ得ない。
今年3月23日 午後、初任の校長時代の児童Cさんと母親が校長室を訪ねてくれた。出会いは小学校3年生の春、Cさんは玄関前で大泣きしていた。集団になじめず、教室にもなかなか入ることができず苦慮していた。そのCさんが「卒業の時に、手紙を渡します」と言っていたのだが、思うように思いを整理できず、そのまま月日が流れた。そして、今、高校3年生。校長室で手紙を受け取った。
「先生に9年分のありがとうが、伝わればうれしいです。(中略)○○校長先生、小6の時に書けなかった感謝の気持ちを今なら伝えられます。私を私のまま認めて大切にしてくれて本当にありがとうございます。これからも私を見守ってほしいです。ずっと伝えたかったことを伝えられて私は満足しています」
さらに7月14日、母親から連絡を頂いた。
「Cが英検1級に合格しました。本人もものすごく喜んでいます。こうしたうれしいことがあると、いつも小学校の頃のことを思い出すのです。得意を伸ばすことができたのは、小学校時代に根っこをしっかり育てていただけたおかげです。小学校の頃、○○ができない…がたくさんありました。でも、『今、○○ができなくても将来困ることはない』と校長先生は力強くおっしゃってくださいました。それが私の力になっています、おかげで、できないことよりもできることを応援する余裕が生まれました」
教育の答えはすぐに出るものではない。9年後にこんな形で寄せられることもある。予測困難な時代だからこそ学校が希望の光でありたい。教育の魅力はここにこそある。
「働き方改革」が叫ばれ始めて久しいです。そして私たちの仕事が単に「ブラック」と呼ばれると、何とも言えない気持ちになります。
その昔、「でもしか先生(教師)」という言葉がありました。1960年前後、教師の数が足りない時代に、「(他にやりたい仕事がないから)教師にでもなるか」、「(特別な技能もないから)教師しかなれない」と、無気力な教師に対する言葉がありました。
私は、以前お伝えしましたが、「金八先生」を見て、そして何より、小・中学校時代に出会った先生方にたくさんお世話になって、教師を目指しました。教育実習に行き、子どもたちと直接関わって、「教師になりたい!」と決心を固めました。
初任で赴任した学校は、「荒れ」のまっただ中。理想と現実のあまりのギャップに悩み苦しみました。しかし、その中でも、優しい子どもたち、どんな環境であっても精一杯に生きる子どもたちに出会い、元気と勇気をもらい「教師」という仕事を続けました。子どもたちのためならまったく時間も惜しみませんでした。気付いたら学校で朝を迎えることもありました。しかし、苦に思うことはありませんでした(もちろん、こんな働き方はよいことではありませんが…)。でも、どんなに疲れていても、子どもたちが私に幸せと笑顔を何倍にもして返してくれました。すると、また頑張りたいと思うのです。教育は結果がすぐにでないこともたくさんあります。それでも、とても素敵な仕事だと私は思っています。
本校でも「働き方改革」を行政とも一緒になり進めているところです。一方で、子どもたちへの愛情や教育への情熱は決して失わないようにしなければと思っています。御陵中の先生方は、子どもたちのことが大好きです。いつも子どもたちのために、一生懸命に取り組んでくれています。
しかし、学校だけでは到底、教育は成り立ちません。ですから、学校と家庭、地域が理解し合い、しっかりと連携し、子どもたちの未来と笑顔のために、これからも努力していきたいと思っています。どうか、これからも御陵中学校を、御陵中学校の子どもたちのことを、あたたかく見守っていただき、ご支援をお願いしたいと改めて思います。