【9月21日】教養
- 公開日
- 2022/09/21
- 更新日
- 2022/09/21
Kのつぶやき
台風が過ぎ、昨日から秋らしい天気になっています。早朝外に出ると、ひんやりとして寒いぐらいに感じました。気象庁によると、台風が通り抜けたことによって風が入りやすくなったからとのこと。今後まだ、夏日もあるが、徐々に平年並みに落ち着いてくるそうです。
学校のほうは、今日から中間考査。子どもたちには、それぞれの努力の成果を十分に発揮してほしいと思います。それが終わると、陸上の筑前地区新人大会があり、いよいよ10月からは、各種目ごとに、筑紫区中体連の新人大会が始まります。さらに、生徒会の改選、創立40周年記念文化祭、地域清掃・GORYOマルシェ、11月には3年生進路説明会、期末考査、創立40周年記念夢講座、市民総ぐるみ防災訓練、三者面談(全学年)、12月には、3年生を励ます会、生徒会リーダー研修など、行事が目白押しの2学期です。子どもたちがそれぞれに、自分の目標をもち、充実したそして自分を成長させる2学期であってほしいと願います。
哲学者の岸見一郎さんという方の著書『ゆっくり学ぶ』から、「生きることは学び続けること」の中の「人間らしくあるために」のところを抜粋します。
ギリシャ語には「パイディア」(paideia)という言葉があります。これは「人間教育」という意味です。真の人間になるためには、教養を身につけなければなりません。ただし、教養という言葉では本来の意味が伝わりにくいです。社会人として身につけるべき知識というような意味ではありません。「教養」はドイツ語ではBildung(ビルドゥング)であり、形成という意味です。知識を身につけるのは、人間形成、人格をつくるためであるということです。「教養」という言葉に引きつければ、ただ知識を教えるだけでなく、人格を育て養わなければなりません。三木清は次のようにいっています。
「教養といわれるのは単に専門的乃職業的知識のことではなく、人間が人間らしくなるために必要な知識のことである」
このような自分の人格を形成することに資する勉強は、ただ知識を身につけたり、多くの情報を集めたり、受験のために勉強したりすることとは違います。しかし、学ぶことは生きる営みの一つなので、何かを学べば、それが受験のための勉強であっても、学ぶ人の人生に何の影響も与えないということはありません。
博学(様々な学問に通じていること)の人が知者(知恵の優れた人)とは限りません。どれだけ多くの知識を身につけるかではなく、人間が人間らしくなり、苦境にある時には、どう考えどう振る舞えばいいかを正しく判断できるような知、知識というより「知恵」こそが、言葉の本当の意味での教養です。…(中略)…
本を読むなどして何かを学ぶことで生き方が変わらないのであれば、学ぶ必要はないといっていいくらいです。何か直近の目標のために学ぶことはあるでしょうが、そのような学びを通じてであっても、何らかの仕方で人は変わることができます。学び方が生き方に反映するということです。生き方を変えることは容易ではありませんが、学び方であれば変えられないわけではありません。従前(以前)と違う学び方をすれば、そのことが生き方を変えるきっかけになります。
人として、人間としてと考えたときに単なる「知識がある」ということではなく、よりよく生きるための「知恵」が深くなければいけないということだと思います。
『バカの壁』『ヒトの壁』『嫌いなことから人は学ぶ』などの著書が有名な養老孟司(ようろうたけし)さん〈解剖学者、東京大学名誉教授〉の講演会に以前、参加をさせてもらったことがあります。そのときに、養老さんの話の中でとても印象に残った言葉がありました。それは、養老さんが尊敬する元東京大学名誉教授のある方の言葉でした。
「本当の意味で教養が身についている人というのは、他人の気持ちが分かる人のことである」 東大の名誉教授までされている方であれば、相当な勉強をされ、知識もたいへん豊富な方だと思います。その方が、「教養が身についている人=他人の気持ちがわかる人」とおっしゃるわけですから、それが意味するところも深いのだと思います。
子どもたちには、学校でしっかりと「知識」も身につけてほしいし、何より、それぞれの教科等の授業を通して、学び方やその教科の本質、それが世の中にどう生かされるかなど、人として生きていくときに大切なことを学んでほしいと思っています。学校で集団生活を送る中で、人として大切な「社会性」も磨き、社会に羽ばたいてほしいと思います。