学校日記

【11月21日】松陰に学ぶ

公開日
2022/11/21
更新日
2022/11/21

Kのつぶやき

 池田貴将さん編訳『覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰』の中に「無尽蔵に掘り出せるもの」というところがあります。

自分の外にあることは
求めたからといって、得られるものではありません。
外にあることというのは、わかりやすくいうと
「お金持ちになる」「有名になる」「人脈ができる」
みたいなことですが、
これらは結局、得ようとして、
得られるものではありませんから、
ここに心を尽くすのは馬鹿げています。
一方で、自分の内側になるものは
求めれば、いくらでも得ることができます。
内側にあるものというのは…
人を思いやる気持ち。
損得を考えずに、やるべきだと思うことをやる気持ち。
礼儀を守る気持ち。
知らなかったことを、知ろうとする気持ち。
仲間との約束を守ったり、本音を言い合ったりする気持ち。
これらの気持ちは、
求めれば誰にでも無限に手に入れることができます。
そして求めれば求めるほど、
自分と、自分を取り巻く世界のことが好きになるのです。
いくら費やしても、損はありません。

 “無尽蔵”とは「いくらとってもなくならないこと。限りがないこと。またはそのさま」という意味です。吉田松陰は、思いやりの気持ち、礼儀、探究心、仲間を大切にする気持ちなどは、どれだけでも求めることができるし、そのことを身に付けることに決して損はないと言っています。短絡的に「お金がほしい」「人脈ができる」という自分本位が優先されていくと、決してよりよい人生にはならないことを教えてくれているのだと思います。
1830年に長州藩(現在の山口県)の下級武士の家に生まれた吉田松陰。貧しい家庭で育った一方、藩主に対して兵学の講義を開くなど、豊富な知識で周囲からも賞賛をあびていました。そして、わずか19歳にして、兵法の師範として生計を立てるようになりました。20歳を過ぎて日本全国を巡る旅の途中、「黒船来航」を目の当たりにし、アメリカに密航しようとして投獄され、そのあと自宅謹慎となりました。そのときに開いた塾が、のちの「松下村塾」となります。
 塾生の中には、明治維新に活躍した高杉晋作や久坂玄瑞、桂小五郎(木戸孝允)、そしてのちに内閣総理大臣として活躍する伊藤博文や山県有朋など、近代日本国家の基礎を築いた著名な人物も多く通っていました。松下村塾には、「月謝」は存在しなかったため貧しい者も学びを得られました。また、その教育方法は、松陰自身が講義ばかりをするのではなく、あるテーマについての皆で激しい討論を行ったり、塾生が教壇に立って授業をしたりするなどしていたようです。松陰は、塾生一人一人の特徴や得意分野を見抜き、それぞれの強みを伸ばす指導を行い、「自主性」を重んじたと言われています。この教育方針のおかげで、多くの著名人を輩出できたのではないかと言われています。
 1859年11月21日、29歳という若さで亡くなった吉田松陰ですが、彼が残したものは160年以上経った今でも、多くのことを語りかけてくれている気がします。