【11月29日】俊敏な感性
- 公開日
- 2022/11/29
- 更新日
- 2022/11/29
Kのつぶやき
今朝の西日本新聞「春秋」からです。
プロ野球の故野村克也監督は数々の名言を残した。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」もそう。江戸時代の平戸藩主で剣の達人、松浦静山の剣術書からの引用だが、好んで口にした。勝ってもおごらない。負けには必ず原因があり、反省し対応を練る。常に勝負と向き合うスポーツ選手に何年も前の敗戦を「成長の糧になった」と克明に説明され、その記憶力に驚かされることは少なくない。選手が入れ替わるチームにも記憶はある。
サッカー日本代表に刻まれる「ドーハの悲劇」。つかみかけたワールドカップ(W杯)初出場を逃した。Jリーグも始まりサッカー熱が高まった1993年のアジア最終予選の最終戦で終了間際にゴールを許し、引き分けに終わった。メンバーだった井原正巳さんと高木拓也さんはJリーグの福岡、長崎でそれぞれ監督を務めた。「経験を伝え、選手を育てる」。2人は九州で自身の役割を語っていた。共に味わった悲劇を「歓喜に」と、日本代表の森保一監督が臨む今回のW杯。ドーハが首都のカタールでドイツに逆転勝ちし、コスタリカにはワンチャンスをものにされた。日本中を一喜一憂させた1勝1敗。選手たちは静山の教えを実践するかのように冷静に受け止め、前を向く。スペインとの1次リーグ最終戦、さらに目標の8強以上へ。その挑戦が成就しても決して不思議ではないと願うのだが、さて。
日本代表チームは、敗戦を振り返り次のスペイン戦へ、しっかりと対策をたて取り組んでいるだろうと思います。本当にまた期待して応援したいと思います。
さて、このコラムに登場した故野村克也さん著『一流のリーダーになる野村の言葉』の中に「“俊敏な感性”をつけさせよ」というところがあります。そこにはこんなことが書かれています。
私が常日頃から口にしている言葉が、「鈍感は最大の悪」である。とくに飽食の時代の今、若い人の間で鈍感人間が増えたような気がしてならない。感じる力、すなわち「感性」というものは、人間が生きていくうえで大切な要素である。感性がなければ視野が狭くなるし、些細なことに気づくはずもない。些細なことの中に、伸びるために重要なことが潜んでいるケースは少なくない。感性の乏しい人間は、それに気づけない。すなわち鈍感な人間だということだ。
相手が鈍感な人間かどうか、試してみる方法がある。私のケースでいえば、ベンチからグラウンドにいる選手の足元にボールを転がしてみる。ちょっと驚きながらもボールを拾う者もいれば、何も気にせず素通りしてしまう人もいる。前者は些細なことに気づく人間、後者は鈍感なタイプとも言い換えられる。
これが会社に置き換えた場合だとどうなるか。たとえば会議の資料を用意するにあたって、上司からあれこれ指示される前に、「おそらくこうした資料が必要になるだろうな」と前もって、上司に言われる前に自ら準備して用意したり、あるいは営業で得意先に行く前に、「明日伺うAさんは、たしか野球が好きだったな。それなら野球のことで何か面白い情報がないか、探してみよう」と相手との会話で盛り上がるようjにいろいろな情報をあらかじめ入手しておき、実際に会ったときに、野球の話で盛り上がって商談が成立する、なんてことだってあるかもしれない。上司や得意先から、「彼はなかなか見どころがあるな」と思わせるのも、感性があるかどうかの分水嶺(ぶんすいれい:分かれ道のたとえ)になる。…(中略)…
会社でも、始業時間までになんとか出社してきて、そのまま惰性で勤務時間を過ごし、終業時間になれば、「はい、おつかれさん」とばかりにそそくさと帰ってしまう社員がいるのではないだろうか。こうしたタイプは得てして鈍感なタイプが多い。だが、一流のプロ選手になれば、感じる力に長けている。やるべきことを見つけ、すぐに取り組む。日々の練習にも目的意識をもって取り組むため、試合でもコンスタントに実力を発揮していく。そうして首脳陣はもちろんのこと、チームメイトからもその働きぶりを認められ、やがてチームの中心選手となっていく。…(後略)…
「感性」は、私もとても大切なものだと思います。若いときから、この感性こそが、人を突き動かす原動力でもあり、頑張るためのエネルギーにもなる。そして、察する力や思いやりにも通じていくものだと思っています。
特に、私たち教師は「感性豊かな子どもたち」と共に成長し続ける人間でなければならないと思っています。私たち自身が、常に感性を磨いていかなければと感じています。
サッカー日本代表チームの皆さんは、「俊敏な感性」を持ち合わせ、常に目標をもち努力し続けているからこそ、あの舞台に立っているのだと思います。きっと、日本選手ならではの感性で、互いに心と体を繋ぎ合わせ、素晴らしいプレーで最終戦を戦ってくれるのではないかと期待して止みません。