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【9月30日】げんぞう

公開日
2025/09/30
更新日
2025/09/30

校長のひとりごと

 今朝の読売新聞のコラム『編集手帳』からです。


 ゴジラ、ガメラ、キングギドラ…。随筆家の黒川伊保子さんの著書『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』によると、怪獣にみられる濁音は、人の潜在意識に働きかける効果があるという。

 印象が濁音により増幅されるのは、「映(ば)える」も同じだろうか。文化庁の「国語に関する世論調査」で、半数以上の人が使うと答えた。耳にしても気にならないと答えた人も8割を超え、何年かで消えてしまうような新語ではなさそうである。夕映え、でき映えと、濁る「映え」は昔からある。濁音の効果を知ったいま、夕焼けの美しさや写真のできを言うのに「映(は)える」では物足りない気がする。

 プロでもない人が素晴らしい写真を撮り、発表できる環境はもちろんインターネットがもたらしたものだ。誰もがスマホを持ち歩く街にはさみしい光景もある。筆者が通勤に使う駅の東西にあった2軒の写真店は、この数年のうち両方とも閉店した。死語に近づくのがフィルムを写真店に出すときの「現像」だろう。あした現像に出してくるから、と声を弾ませたものである。げんぞう。なぜか、濁音がふたつもある。


 調べてみると、言語学や心理学の分野で研究されているものに「音象徴(おんしょうちょう)」というものがあります。これは「音そのものが、ある特定のイメージや感覚を人に呼び起こすこと」とされています。その中で濁音は、「重い、大きい、強い」「ごつごつした、力強い」または、「否定的、ネガティブなニュアンス」などのイメージとされています。発音に伴う口やのどの動き、空気の出方といった物理的な構造が、人の潜在意識に影響を与え、特定の感覚をもたせているようです。いかがでしょうか? 確かに、音の響きで、勝手なイメージを持っている自分がいたりしますよね。人の名前もそうですし、キャラクターの名前、もっと言えば、何かを表すときに使う表現や言葉で、私たちは見たこともないものであっても勝手に、形や状況を想像していることがたくさんあります。だからこそ、「ことば」や「名称」は大切ですし、しっかりと考えて使ったり命名したりすることが必要なのだと思います。

 もう一つ…

 写真の「現像」…昔は当たり前のように写真屋さんに「げんぞうして〇〇サイズのプリントに」とお願いをしていたのに、デジタルカメラの登場で、ほとんど必要がなくなりました。当時、現像に出して、出来てきた写真を見て、「わぁ~これよく撮れてる。いい写真だ~」とか「あ!目を閉じてる。残念…」「これ、ピントが合ってないやん…」などと新鮮な感情が湧き、そんな写真に一喜一憂していた頃が懐かしくなりました。「げんぞう」には濁音が二つあっても、重くもなく、ネガティブでもなくむしろ、ポジティブでワクワクする感情が湧いてきますね。


(ひとりごと第1083号)