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【2月5日】夢を達成するために

公開日
2026/02/05
更新日
2026/02/05

校長のひとりごと

 人間学を学ぶ月刊誌『致知』3月号には、フランス料理界の巨匠「ラ・ロシェル」のオーナーシェフ 坂井宏行さん(83歳)と、伝説の人気番組「料理の鉄人」で坂井シェフと対決したこともある「シャトーラ・パルム・ドール」のオーナーシェフ 後藤雅司さん(63歳)の対談が載っていました。坂井シェフの言葉から載せさせていただきます。


 僕は子どもの頃から将来は料理人になっていつか必ず独立するという夢を持っていました。料理人以外の職業に就こうと思ったことは一度もありません。後藤さんはお母さまを亡くされましたけど、僕の場合は3歳の時に父親を戦争で亡くして、貧しいながらもおふくろが女手一つで3人の子どもを育ててくれました。昼は日雇いの仕事、夜は家で和裁の仕事をして生計を立てていたので、食事をつくる時間がない。それで小学生の頃から、長男である僕が台所に立って家族の食事をつくっていました。おふくろがいつも言っていたのは「貧乏は貧乏でも、心まで貧乏になる必要はないよ」と「必ず腕に職を持て。そうすればどんな世界に行っても生きていける」という言葉だったんです。おふくろの言葉に加えて、ある時、近所の港で貨客船のコックさんを見て、長いコック帽と白いコックコート姿に惚れ込んでしまった。これが料理人を目指すようになったきっかけです。

 中学校卒業後、一度は高校に進学するも一年で中退し、故郷の鹿児島を離れてまず大阪の仕出し弁当屋さんに住み込みで働きました。毎朝3時に起床し、お米を磨いだりかまどに火をおこしたり自転車で配達したり。次第にこんな生活を続けていて料理人になれるのかと疑問が湧いてきましてね。そんな矢先に深水さんという先輩が「おまえ、こんなところにいても一流の料理人にはなれないよ。フランス料理のシェフを知っているから紹介してやる」と言われ、ホテル新大阪のレストランに勤めることができたんです。ここから僕の料理人人生が始まりました。当時の料理人の世界は丁稚奉公(でっちぼうこう)と同じで、親方が白と言えば黒であっても白になってしまう。最初は料理と関係ない仕事ばかりで、親方の靴磨きとか身の回りの世話、鍋洗いから徹底的にやらされましたね。僕の修業した店は鍋がすべて銅鍋で重たいんですよ。なんでこんな重い鍋を使うんだと思いながらも、スポンジも洗剤もないので、ヘチマのたわしに灰をつけて一所懸命磨きました。二畳一間、風呂なし、トイレ共同のアパートに住み、給料は家賃と銭湯代に消えていくので、外食したり遊びに行ったりすることは皆無でした。給料日前は銭湯代すらなくなり、店の洗い場で体を拭いたこともあります。

 でも、修業時代が厳しいのは当たり前であって、そこからどうやって人よりもとび抜けていくか、技術を盗んでいくかは自分の意識次第ですよ。「もういいや」と思ったらそこで終わりだけど、「俺はいつか絶対に一流の料理人になって自分の店を持つ」と決めていましたから、多少の苦労は全然耐えられました。そういう修業時代を乗り越えてこそ、いまがあると思っています。…(後略)…


 人は皆、違う環境に生まれます。そして違う境遇の中で生きています。そのときに一昨日のひとりごと「福は内」にも載せていましたが、どういう心持ちでいるか、ポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかでその後の行動も変わってきます。坂井シェフはお母さまが言われていた「心まで貧乏になる必要はない」「必ず腕に職を持て」という言葉を大事にし、苦労は必ず力になると信じ続け、誰にも負けない努力をしてきたからこそ、「フランス料理界の巨匠」とまで呼ばれるようになったのだと思います。

 また、この対談の中で、後藤シェフはこんな言葉を言われています。

「人との縁や恩を大事にする。そういう姿勢がないと、その先にあるチャンスや運をつかみ取っていくことはできません」。

 これも多くの方が言われます。人生は出会いである。出会いによって人生は大きく変わるし、その出会いがかけがえのないものだと大切にできる人、出会いに感謝できる人が大きなことを成し遂げられる。出会いをつないでいくこと、そしてその恩を直接でなくても「恩送り」として返していくことが運をつかむこと…。

 最後に坂井シェフの言葉です。

『夢は見るものではなく、達成するもの。夢を達成するためには自分を信じて絶対に諦めないことが必要です』


(ひとりごと第1160号)