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【2月10日】飛躍の基礎

公開日
2026/02/10
更新日
2026/02/10

校長のひとりごと

 致知出版社『1日1話、読めば熱くなる365人の人間学の教科書』の中にある東北大学学長(現 東北大学名誉教授)西澤潤一さんの「感動こそ飛躍の基礎」からです。


 私は若いころからモネが好きだったんですが、ニューヨークやボストンの美術館には、モネの絵がたくさんありました。それも、日本の美術館ではとてもお目にかかれないような素晴らしい絵ばかりです。次いでロンドンやパリの美術館に行くと、一段と輪をかけて数多くモネの感動的な絵がずらりとある。西ドイツやスイスでもしかり。そして、私が圧倒されたのは絵そのものはもちろんですが、その数の多さです。モネという画家はどうしてこんなにたくさんの絵を描いたのだろう。一流の画家として認められるまでには、これほどの作品が必要だったのだろうか。いや違う、あくなき画道を求めてモネは絵を描かざるを得なかったのだ。若くして印象派の大家として認められたのに、80歳になっても一作、一作丹念に描き、従来の自分の殻を打破し、新しいキュービズム風の画風を創作し続けている、こんな人こそ初めて一流といい得るのだ。そう気づいたとき、私は心の底から震えるような感動を覚えましたね。

 それに比べて一体このオレはどうだ。たかだかいくつかの仕事をして、それも果たしてどの程度のものだというのか。そんなことぐらいで、少しばかりいい気になり、その鼻を折られたからといって、他人さまを恨んだり、くさっているようでは、どうも大した男じゃないな、と鉄槌(てっつい)を食らったような衝撃を受けた思いになりました。

 考えてみればモネばかりではありません。心理学者の宮城音弥先生の著書にも、「天才とは、頭がいいというのではなく、異常な集中力にある」というようなことも書いてある。また、ある人から以後の天才といわれる呉清源(ごせいげん)の話も聞きました。それによると、呉名人は修業時代、爪がボロボロになっていたそうです。ひとたび、練習するとなると、無我夢中で何千回、何万回と碁石をつかみ、それで爪を割り、碁石は血まみれになったというのです。

 確かに天才には天才になりうる素質、資質はあるのでしょうが、しかし、異常なまでに集中して全力を注ぎ込まなければ、その才能も開花しないということなのでしょうね。私はモネのそれを見て、沈んでいた気持ちが奮い立ち、大いにやる気が出てきたのを実感しましたね。私は、感動というのは飛躍の基礎じゃないかと思います。自分が考えていたこととか、やったことが開花したときに受けるのが感動でしょうし、それが、また新しい自分を創り上げるエネルギーとなるものだと思います。


 調べてみると西澤さんは、「ミスター半導体」「光通信の父」「闘う独創研究者」などと称され、日本が誇る科学者であり発明家です。現代のインターネット、スマホ、省エネ家電などのようなデジタル生活の根幹を創り出した方といえます。西澤さんのポリシーは「他人の真似をするな、独創的であれ」と、欧米の真似ではなく、ゼロから新しい価値を生み出してこられていたそうです。また、1000件を超える特許も取得されており、「発明王・エジソン」に例えられるほどです。西澤さんのアイデアは先進的すぎて「実用性がない」と巨大企業や学会でたたかれるようなことがあっても一歩もひかなかったことが「闘う独創研究者」と呼ばれる所以です。「10年、20年先を見ることの大切さ」そして、「独創的であることは孤独である(時代が追いつかず、ほら吹きだと言われたり周囲からたたかれたりする)から強い精神力が必要」であることを後輩の研究者たちにもおっしゃっていたようです。そのことが後進の育成にも繋がったとのことです。

 モネや呉名人に感動し、「自分はまだまだ…」と思い、常に愚直に、並外れた集中力で粘り強く物事に取り組んでいたからこそ、西澤さんはますます飛躍され、数々の素晴らしい発明や功績に繋がっているのだと思います。何より「感動」できる豊かな感性の持ち主であったことも飛躍の基礎なのだと私は思います。

 子どもたちがそんな豊かな感性をもち、様々なことに「感動」できる、そしてそのことがきっかけとなり、志をもって粘り強く努力し飛躍していけるように、私たち大人が豊かな感性と粘り強さを持たなければと思います。


(ひとりごと第1163号)