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【3月14日】他人のせいにせず…(その1)

公開日
2024/03/14
更新日
2024/03/19

校長のひとりごと

 昨夜、絵文字つきでラインのメッセージが届きました(絵文字は省きました)。

 ご無沙汰しております!夜分遅くに大変申し訳ございません。お元気ですか??
春休みに入り、少し落ち着いたのでご連絡させていただきました!年末年始は奥さんがコロナで帰省できずだったのですが、実は先日、奥さんの祖父が亡くなり急遽福岡に帰省してました。バタバタで帰省したのですぐ鹿屋に帰りました...
ご挨拶に伺えずすみません…
 帰省の際に、母から藤井先生が大野東中に移動されたと聞き、久しぶりに校長のひとりごとを拝見させていただきました!毎日多くの気づきを得て多くのことを学ぶ藤井先生は本当にすごいなあ、自分も頑張らねばと身が引き締まりました。
 鹿屋体育大学の大学院に来て、本当に毎日が学びの連続で、その辺に転がっている学びのかけらみたいな物をつかもうと必死になっていたら1年が経ってました(笑) 僕と同期入学の大学院生には、40歳の教員を退職して入学した方もいて、人生をかけて好きなことを学ぶには、歳なんて関係ないんだ!その環境があることはありがたいことなんだ!とつくづく感じます。(語りだすと止まりません(笑))
 早朝からバイト、学生や大学院生との授業、部活ではコーチ、帰って研究や課題…と、やること尽くしですが、先生方や大学院生をはじめ、沢山の方々に支えられて本当に充実した日々を送らせていただいています!!この1年で行った研究の一部を、今月18〜19日に東京で行われるバレーボール学会大会で発表してきます!(ぜひ添付資料の30ページをご覧ください!)
 ご挨拶に伺って、この1年の思い出や藤井先生のお話を聞きたいところですが、こんな形で近況報告をさせていただきました!また帰省できる機会があれば、ゆっくりお話しできることを楽しみに、さらに成長できるよう頑張ります。突然の連絡ですみませんでした。

 彼は、私がバレー部の監督をしているときの教え子です。大学を卒業し、Vリーグ女子のコーチとして活躍していたのですが、もっとバレーボールについて深く学びたい、指導者としてもっと高みを目指したいと、鹿屋体育大学大学院体育学研究科体育学専攻に通っているのです。そんな彼からの久しぶりのメッセージでした。
 彼が中学校に入学してきたときは、小柄なかわいらしい中学1年生でした。2歳上の兄がバレー部でしたので、入学前から弟にバレー部に入るよう誘いなさい!と伝えていました。しかし、彼は小学校までサッカーを習っていたので、中学校でもサッカー部に入る予定だと聞いていました。ところが、悩んだあげく彼はバレー部に入ってきたのです。
 部活動発足会の日、教室に彼がいたので、「サッカー部に入る予定じゃなかったの?」と聞くと、緊張した面持ちで『はい。そのつもりだったんですが、サッカー部よりバレー部の方がきちんとしていたので…』と答えてくれました。私は心の中で、あえて厳しそうな部活動を選ぶなんて…、立派な子だなと思いました。
 バレーボール素人の彼は、1年生ながら、毎日毎日、言われた練習に黙々と取り組みました。球拾いであっても、誰よりも声を出して頑張りました。入部して2ヶ月のある日の練習試合…。ベンチから全力で声を出し応援を頑張っていた彼を私はベンチに呼び、「試合に出て、サーブ打ってみるか?」と言うと、「はい!お願いします!」と目をキラキラさせて答えました。「よし、じゃあ頑張ってこい!」とメンバーチェンジをして出場させたのです。人生初のバレーボールの試合。先輩たちの中に混じって、ガチガチに緊張しながら打ったサーブは残念ながらミスとなりました。ベンチに戻った彼は「すみませんでした」と私に謝り、とても悔しそうに涙を流していました。バレーボールを始めて、たった2ヶ月の彼がミスしても、そんなことは当たり前ぐらいに思っていた私は、「こんなに悔しがるなんて…この子は、これから見込みがあるな」そう思いました。その日の午後の試合のとき、もう一度彼にチャンスを与え、サーブで出場させました。すると、見事サーブは入りました。それが得点につながったときの嬉しそうな顔。先輩たちからハイタッチをされ、とても喜んでいました。その日以降、彼は今まで以上に、真面目に熱心に練習に取り組みました。素人の彼は、日に日に上手になっていきました。
 2年生の夏、3年生が引退し、私は、迷わず彼をキャプテンに指名しました。決していばったりするようなことはなく、常に謙虚、常に全力で、ひたむきに練習に打ち込み、技術の向上はもちろんのこと、キャプテンとして精神的にも大きく成長していきました。
 
※明日の(その2)に続く