【3月15日】他人のせいにせず…(その2)
- 公開日
- 2024/03/15
- 更新日
- 2024/03/15
校長のひとりごと
バレー部では朝練習も行っていましたが、彼はほぼ毎日、1番に登校してきました。チームメイトが誰も来ていなくても、開始時間前に一人でネットを立て、すぐに練習し始めるのです。校門が開いていないような早い時間に来ることもあった彼の母親が、「そんなに早く行かなくても…。先生も迷惑するよ」という言うと、彼はこう答えたのです。
「だって、少しでも早く行って練習したい!誰よりもうまくなりたい!強くなりたい!勝ちたいんだ!」
と。彼の高い志、強い信念を理解した母親は頼もしく見守り、彼のためにもどこまでも応援に徹しようと考えたのです。
どんなにきつくて厳しい練習であっても、彼は絶対に弱音を吐きませんでした。それどころか常に周りを鼓舞し、チームを盛り上げました。一日練習試合の日の昼休みも、素早く昼食をとったかと思うと、すぐにコートに戻り一番に練習を始めます。練習に対する姿勢も一番素晴らしかったのですが、彼の本当に素晴らしいところは、他のチームの試合の審判や準備・片付けも率先して取り組むところだでした。誰よりもきちんとした挨拶ができ、礼儀正しく、気配りも素晴らしい。すべてにおいて、チームメイトの模範でした。キャプテンでエースとして出場した3年生最後の夏(そのときの身長は162cm)は筑紫区大会4位、筑前地区大会ベスト8…目指していた県大会出場に一歩届きませんでした。引退が決まった最後の試合後、彼は言うまでもなく号泣していました…
高校は、「福岡県で一番バレーの強いところ。日本一を目指しているところに進学したい」と私立のバレー強豪校に進学しました。高校でも、その真面目さとひたむきさ、思慮深さ、気配り力を監督に評価してもらい、2年生のとき「マネージャーとして頑張ってほしい」と言われました。選手としてではなく、マネージャーとして…、当然ながら戸惑いもあったと思います。しかし、彼は決心し、その仕事(役割)にひたすら徹しました。3年生になりインターハイに出場した彼の高校は、ついに全国初優勝を果たしました。そのあとの国体、春高バレーでも優勝し、「三冠」を達成しました。後日、彼の高校の監督さんが、全国優勝の裏にある彼の活躍を私に教えてくれました。日々のチームに対する献身的な姿勢や態度はもちろんのこと、大会中は対戦相手のビデオを夜中まで見て研究し、データを分析し監督に伝えるという大きな仕事をしていたそうです。たとえ選手でなくても、チームのために貢献することの意味と自分の役割を彼はわかっていたのです。大学はバレーボールの推薦で進学し、4年生のときには「学生コーチ」としてチームのメンバーを考え、戦術を考えチームを勝利に導く役割を担っていました。また、全日本女子チームのアシスタントコーチとして、まだ学生であるにも関わらず合宿等に参加していました。卒業後、Vリーグ女子のチームから声がかかり、現女子日本代表監督の眞鍋政義さんや監督付戦略アドバイザーの竹下佳江さんと一緒に指導者として活躍していました。その中で、より高いレベルの指導者になるためにもっと学びたいと、一時指導を離れ、現在大学院に通っているのです。
彼は高校時代、大会が終わるといつも電話をくれて試合の報告とお礼を言ってくれました。時間があるときは、後輩の指導に来てくれたり、お土産をもって私に会いに来てくれたりしました。大学時代、そして社会人になってからも時々、電話やライン等で近況を報告してくれました。一昨日も、彼からの近況報告メッセージがきましたので、嬉しくて、またそんな彼の素晴らしさを皆さんに知ってほしくて、ひとりごとで紹介させていただきました。
前任校の中体連大会選手激励会前に彼に電話をしてみました。
「今日の選手激励会で、私が子どもたちに話をするんだけど…中学生に伝えたいこととかある?」
と聞くと、しばらく悩んだ彼がこう答えてくれました。
「試合に出るとか、出ないとか…うまくできるかできないとか…いろいろ考えるかもしれないけれど、まずは、与えられた自分の役割を精一杯に果たすことが大事だと思います。それが、チームだし、みんなで戦うということだと思います。そのことが自分を伸ばすことにつながるし…。やはり、どんな状況であれ、他人(ひと)のせいにせず、言い訳をせず、努力することが大切だと思います。」
その言葉を聞いた私の身が引き締まる思いでした。彼はきっと、最高の指導者になっていくと私は信じています。彼からの連絡があると、私も負けないように頑張らなきゃなって思います。彼は私の誇りであり、自慢です。
「他人(ひと)のせいにせず、言い訳をせず、努力をすること」
大切にしたい心がけです…