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【7月3日】言葉掛け

公開日
2024/07/03
更新日
2024/07/03

校長のひとりごと

 7月1日付け日本教育新聞のコラム『不易流行』からです。

 池に小石を投げると、着水点を中心として波が輪となって広がっていく。輪の波形はほどなく消え去り、小石が着水した形跡もなくなる。鏡面のような水面を見ると、小石が着水して波が生じたことは、他に何の影響も与えていないようにも思える。しかし、本当にそうなのだろうか。ミクロの視点で考えると、波の力は微笑ながらも、空気の動きに影響を与える。全ては何らかの形で関連しており、一つの行為が他に影響を与え、何かの誘因となり得る。それは、ジグソーパズルの1ピースが何であるかが分からなくとも、完成すると、意味や役割が分かり、全体像が明らかになることとも似ている。
 学校生活では、教師が子どもたちにさまざまな働き掛けをする。教師の何気ない一言や一挙手一投足が、自分が意識している以上に子どもたちに影響を与え、何かの誘因となっているかもしれない。掛けた言葉や行為は、その後も途切れることもなく継続的に何らかの影響を与え続ける。落ち込んでいるときに掛けてもらった一言が、その後の人生を支えてくれたという話もよく耳にする。掛ける言葉を迷う必要はない。温かい思いを込めれば、その言葉は子どもたちの心の中で温かい輪となって広がっていくだろう。1学期の終盤を迎え、普段の言葉掛けを振り返る機会としたい。

 自分自身がどれだけ子どもたちに勇気や元気を与える言葉掛けをしてきただろう。時には、卒業生の子どもたちが、「先生の言葉で救われました」とか「頑張れました」とか、「あの時の先生の言葉は忘れません」と言ってくれることがあります。一方で、十分な言葉掛けができなかったり、十分な配慮や支援ができなかったことも多々あったのではと反省もしています。
 教師という職に限らず、私たちは自分自身の発した言葉や行為を覚えていないが、相手はしっかりと覚えているということは往々にしてあるのではないかと思います。実は私自身にも、そんなことを教えてもらったことがあります。

 ある時、駅のホームで電車を待っていると、『もしかして、藤井くん?』と、母親らしき人と一緒にいた女性が話しかけてきたのです。「えっ?」。私は誰だろう…と思いながらいると、『私、小学校5年生のときに転入してきて一緒のクラスだった○○です』と。名前を言われ、よくよく顔を見て当時の面影のあった○○さんを思い出した私は、「あ〜、○○さん、久しぶりです。10年ぶりくらい、もっとかな…」。すると、彼女は続けてこう言ったのです。
『私、藤井くんにずっと感謝してて、改めてお礼を言わなくちゃ…』
「えっ??何かお礼を言われるようなことした?」
『私、転入してきてすぐにクラスの男の子たちからイヤなこと言われたりされたりしてて…。そしたら、藤井くんが、“そんなことすんな!”って止めてくれて。そのおかげで、その子たちもイヤなことしなくなって、それからは学校も楽しく行けるようになったの。だからずっと感謝してたの。あの時は助けてくれて、本当にありがとうございました』。
 隣におられたお母さんが、
『家に帰って来て、この子が言ってたんです。藤井くんに助けてもらったって。すごく感謝してるって。本当にその節は、ありがとうございました』
 と、頭を下げられました。そのことを覚えていない私は、「いえいえ、私はまったく覚えてなくて…。決して感謝されるようなことは…」と、むしろ恥ずかしくなりたいへん恐縮しました。二人に挨拶をしたあと、私は電車に乗り込み、そのときのことを思い出そうともう一度記憶をたどりましたが、やはり思い出せませんでした。人違いじゃないのかなぁとも。しかし、“まぁ、私もたまにはいいことしてたんだ…”と、ちょっとだけ嬉しくなったことを覚えています。

 言葉のもつ力は偉大です。人を勇気づけたり元気づけたり救ったり、その言葉が一生の宝物になったり、困難を跳ね返すための原動力になったり…。もちろんその逆で、人を傷つけたり、追い込んだり、悲しませたりすることもできます。
 これからもっと、子どもたちを勇気づけ元気づけ、可能性を引き出せるような言葉掛けをできるように努力したいと思います。だって、私自身が、子どもたちの言葉や保護者の方の言葉にどれだけ勇気づけられ元気づけられてきたかわかりません。もちろん、先生方にも…。少しでも恩返しをしなくてはと思っています。